昨年(2025年)は30年という節目を感じていた人も多かった。しかし翼さんは昨年、ラジオ関西の取材に対し、「そうじゃない。節目とされる次の年が大切」と訴えていた。そして今年、「(自身も)節目、節目という形で取材を多く受たが、一番多かったのは、その日に生まれた子たちが20歳、20年目になったとき。去年30歳のときも多かった。もちろん、節目、節目で取り上げていただけたのもありがいが、最近、僕が思うのは、節目の次の年、21年目や31年目に、僕たちやメディアが発信し続けるかということを特に意識し始めた」と話す。

翼さんは1月17日の放送前日、自身の名前の由来が、「翼」以外にも候補があったことを両親から知らされた。震災がきっかけて、急きょ「翼」という名前にしたという。将来羽ばたいてほしいという思いからだった。


関さんは、 被災地・神戸に住み、神戸の甲南大学に通っている。特に朝の5時台という時間が、朝食やお弁当づくりの時間だったという話をよく聞いた。火を使うために火災が起きて、地震ではなく火災で亡くなる二次災害が起きたことを実感したという。自身が小学6年生だった2011年、父親の転勤の関係で東京で生活していた時期があり、東日本大震災による揺れを経験をしたのも大きなきっかけだった。 「震災・防災・減災について、被災者に会って情報収集をしたり、知る機会を増やすことが大事なことだと思う。それぞれが減災に関する意識を強めていくというのはすごく大切だ」と語る。


震災の翌年、神戸市長田区で生まれた繁本さんは、通っていた神戸市内の小学校で受けた『わたしたちの神戸』という授業が忘れられない。激甚被害だった長田区の大正筋商店街のアーケードが焼けた跡を見学たのがとても印象に残っている。

大学時代、神戸市内の駅で書道展を開いた時、阪神・淡路大震災で生まれた希望の歌『しあわせ運べるように』の歌詞を揮毫(きごう)した。「神戸の小中学校でも必ずといっていいほど歌うが、書にすることで、その歌詞をかみしめることができた」と話す。 この日も神戸・三宮の生田神社で御朱印を書く。「いつもと違って、1月17日を意識して神戸に来られる方も多い。気持ちを込めて揮毫したい」と誓う。






