「カメハメハ」じゃない? 昭和歌謡でたどる“ハワイ憧れ史”と『ハメハメハ大王』の正体

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 昭和歌謡、昭和ポップスにスポットライトを当てたラジオ番組『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』(ラジオ関西)が、2月20日の放送回で、日本におけるハワイへの憧れの歴史を、楽曲とともに紹介。ハワイのイメージの変遷やハワイ旅行の普及過程について、番組パーソナリティーの中将タカノリさん(シンガーソングライター、音楽評論家)と橋本菜津美さん(シンガーソングライター、インフルエンサー)が語り合いました。

日本人がハワイに憧れるようになったのはいつからでしょうか?(画像はイメージです)

 番組内では、曲紹介に先立ち、ハワイと日本の関わりについて、中将さんが話を展開。「コロナ禍前の2019年にはハワイ全体の観光客約900万人のうち、日本人は2割近い約160万人を占めたそう。韓国、中国などとともに、今も海外旅行の行き先として人気のハワイだが、その憧れは昭和にさかのぼる」と述べます。

「ハワイには日系人が大勢いるなか、初めて日本からハワイに移民があったのは、慶応4年、明治元年の1868年のこと。当時のハワイはプランテーション農業が盛んで、観光で訪れる人はごく稀だった」と、中将さん。

 1920年代に入ると日本でジャズとともにハワイアンが流行。1930年代以降に灰田勝彦さん、川畑文子さんといったハワイ出身の日系2世・3世のスターが登場したことや、ハワイの高級リゾート化が進んだことで、いよいよその”憧れ”のイメージが形作られていったと解説しました。

 そんなハワイについて、話とともに、楽曲を紹介。1曲目にオンエアされたのは灰田勝彦さんの『真っ赤な封筒』(1937年)です。

「ハワイ民謡という触れ込みで大ヒットした曲は、元はハワイとはまったく関係ない『オー・バイ・ジンゴ (Oh By Jingo!)』というブロードウェイ発祥の楽曲でした。その後、太平洋戦争の影響で日本とハワイの交流は一時的に途絶えてしまいましたが、この時期に培われた憧れの灯が消えることはありませんでした」(中将さん)

 次の曲は、1948年にリリースされた岡晴夫さんの『憧れのハワイ航路』。

「当時、敗戦によるさまざまな制限で日本人が観光でハワイに行くことは困難でしたが、ハワイへの憧れを歌ったこの曲は40万枚の大ヒットを記録しました」(中将さん)

 橋本さんが「戦時中の日本人はアメリカを憎んでいたイメージなので、戦後3年目でハワイの歌がヒットしたと聞いて不思議に感じます」と率直な感想をコメント。

 これに対して、「もちろん戦闘や空襲の被害に遭って憎んでいる人もいたでしょうが、多くの日本人は戦争が始まるその日までジャズを聴いたりハリウッド映画を観たりしていました。政府から”アメリカを憎め”と言われて本当に心底憎んだ人はそこまで多くないんじゃないでしょうか」と中将さんは述べました。

 3曲目は、加山雄三さんの『お嫁においで』(1966年)。

 加山さんといえば、1960年代はアルバム『ハワイの休日』(1966年 ※『お嫁においで』収録)、映画『ハワイの若大将』(1963年)などハワイをテーマにした作品に多数携わっていました。

「日本人の海外渡航が自由化されたのは1964年ですが、同年JTBが主催したハワイ9日間『第1回ハワイダイヤモンドコース旅行団』の費用は36万4000円で当時の国家国務員大卒初任給の約19倍という高値。まだまだ庶民が気軽にハワイに行くことはできませんでしたが、そんな中、日本屈指の名門、お金持ちの家に生まれた加山さんは、ハワイの似合うセレブタレントとして多くの人にハワイへの憧れを植え付けていったそうです」(中将さん)

中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス | ラジオ関西 | 2026/02/20/金 21:00-21:30

放送後1週間聴取可能、エリア内無料 radikoプレミアム会員はエリア外聴取可

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