《東日本大震災15年》阪神・淡路大震災の教訓は生かされたのか?東北の被災地でカメラマンは…

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 花崎さんは、「支援のために訪れたボランティアの方々、支援物資を送ってくれた多くの方々への感謝の気持ちを忘れないように、私も手を合わせる。また、陸前高田市にお住まいの方々も灯りの前で祈りを捧げている。訪ねてみるとやっぱり私と同じような思いで手を合わせているようだ。かつては年配の方々が多かった印象だが、昨年からは地元の中学生のみなさんも列に加わっている」と世代を超えた思いに希望を感じている。

阪神・淡路大震災の被災地・神戸から陸前高田へ分灯された『3.11希望の灯り』「あなたの思いを灯して下さい 失った命の数をロウソクの灯火にこめて(込めて)」〈2014年1月17日撮影 ※画像提供・陸前高田市〉

 東日本大震災から15年。時間の経過とともに、風化への危惧もある。

 花崎さんは、「復旧・復興に向けてよく引き合いに出されたのが、やはり阪神・淡路大震災だった」と話す。

神戸港から見る六甲・摩耶の山並みは「緑の屏風」と表現されるほど、山と海が近い ※撮影・ラジオ関西コンテンツクリエイト局

 東北の被災地の復旧や復興のロードマップの参考として、生まれ変わった神戸の美しい街並みを映像を通じて目にした。

阪神・淡路大震災発生から16日後、火災で壊滅的な被害を受け、“野ざらし”の大正筋商店街(神戸市長田区)〈1995年2月2日撮影〉※画像提供・はりま地盤・地震研究会代表 西影裕一氏(日本地震学会会員)
現在の大正筋商店街〈2024年12月撮影〉※画像提供・はりま地盤・地震研究会代表 西影裕一氏(日本地震学会会員)

 阪神・淡路大震災の被災地は発生5年後の2000年に仮設住宅が解消されたことを知り、『こちら(東北の被災地)もわずか5年程度で復興できるのだろうか』と思っていた」と振り返る。

 深刻な津波被害に見舞われた東日本大震災の被災地は、神戸や阪神間とは地形が異なり、低い土地の嵩上げや高台の住宅用地、防潮堤の整備などに時間がかかった。

 岩手県内で最後に仮設住宅が退去されたのは、震災から10年後の2021年の3月だった。このため転出者も多く、地域や町内会はかつての賑やかさを失ったという。

奇跡の一本松 岩手県陸前高田市気仙町・高田松原跡地 ※画像提供・はりま地盤・地震研究会代表 西影裕一氏(日本地震学会会員)

 花崎さんは、「復興を目指して新しい街づくりを進める中で、果たして一つ一つの選択が正解だったのかはわからない。しかしその一方で、中高生が避難所の運営訓練を行ったり、主体的に伝承活動を行ったりする姿も見られた。これからの社会を担う世代に、着実に防災意識が一歩一歩繋がってきた15年だった」と評価する。

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