三井さんをはじめ、事故の負傷者と家族らの有志は、事故から約2か月経った2005年6月、それぞれの思いを話し、共有する「語りあい、分かちあいのつどい」をスタートさせた。
そして事故の2年後、2007年7月から「補償交渉を考える勉強会」を開催。その後、補償(賠償)交渉などが個別では対処しきれなくなったため、2008年2月に「JR福知山線事故・負傷者と家族等の会」を設立した。今年(2026年)4月で「つどい」が246回を重ねた。8月で250回を迎える。
こうした取り組みは、情報共有や補償交渉だけを目的にしていたのではない。
負傷者の回復過程はつらい。身体の回復は果たせても、心の傷は継続することも多く、「レジリエンス(立ち直る回復力、再起力)の過程で、孤独にならなければ」との思いから生まれたものだ。
事故から10年間は、考え方の相違や会の進め方、あり方で対立や反発もあった。毎年同じ行事を繰り返すが、1年として同じことはなかった。
国土交通省・被害者支援室との意見交換、事故の記憶を紡ぐ「空色の栞」の作成・配布、事故現場近辺を歩くメモリアルウォーク…そうした「場」の重要性を理解し、常にケアし続ける手間と時間が必要だ。
三井さんは運営面で心が折れそうになったこともあった。しかし、いつしか“荷下ろし”をしてくれたメンバーがいたことで、心が通じ合った。

負傷者の家族は事故の「当事者」と言えるのか、悩むこともある。三井さんの場合、次女は命を取り留め、いつでも会える状態だから、何とか乗り越えてきた。一方で、手術を繰り返す人、後遺症に苦しむ人もあり、またその家族も精神的・肉体的に壮絶な人生を歩んでいる。「家族や知人を失った方々の気持ちなどを思うと、自分は“当事者といえるのか?”という後ろめたさや負い目があったのも事実」と話す。
親元を離れている次女は、事故後しばらく、ラッシュアワーの電車に乗れない時期があった。今も一定区間をあえて乗らないようにしているという。 事故現場付近のことだ。 乗れないのではなく、「複雑な気持ちを抱え、意図的にその区間と自身との距離を置こうとしている」。ふだんは次女と事故の話をしないという三井さんだが、母親の目にはそう映るという。
そして、「会のメンバーの生きざまにも接していたから、我が娘に過度な干渉もなく、突き放すこともなくフラットな関係を持つことができた」と振り返る。
次女は独自のスタンスでレジリエンスを見出し、今を生きていくことに重きを置いている。
21年経った今も、どんどん発信し、広く伝え続けたい。JR西日本の社員の7割近くが事故後に入社している。今でも大小問わず事故は起きている。手放しで「安全になった」とは言えない状況だ。
「安心・安全な社会、再発防止...共通の目的がある。私たちが取り組むこと、加害企業であるJR西日本が取り組むべきこと、メディアが伝えること、行政ができること、専門家や学究者による検証・分析といったことが、バラバラではなくリンクすれば。 それもレジリエンスのあり方かも知れない」との考えは変わらない。

鉄道は性別、年代、さまざまな属性の人が利用し、それぞれの人生を乗せている。「鉄道の車内は社会の縮図かも知れない」と話す三井さん。だからこそ、「事故の負傷者、その人にしかわからない、その人にしか語れない生きざまがある」と訴え続ける。そして今年も「祈りの杜」で、静かに手を合わせる。





