昭和のヒット曲で描かれた“東京” 話題となった5つの曲に感じる 時代によって移り変わるイメージ 

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 昭和歌謡、昭和ポップスにスポットライトを当てたラジオ番組『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』(ラジオ関西)が、東京について歌った昭和の歌謡曲、ポップスを特集。番組パーソナリティーの中将タカノリさん(シンガーソングライター、音楽評論家)と橋本菜津美さん(シンガーソングライター、インフルエンサー)が語り合った。

時代によって移り変わる東京(※画像はイメージです)

 昭和から現代に至るまで一貫して続く、進学や就職を通して地方から東京に人が集まる現象。その中で、東京に対するあこがれや、出会いと別れを歌った数々の楽曲が生まれてきた。

 中将さんは、時代によってその描写は非常にバラエティに富んでいるという。

 番組で最初に、紹介されたのはロカビリー出身歌手・守屋浩さんの『僕は泣いちっち』(1959年)。戦後の復興期から高度経済成長期に移行した頃、地方の農村部から東京に就職、移住する若者が急増した時期のヒット曲だ。

 中将さんは「田舎の若者が東京に去ってしまった恋人を思うという内容ですが、『祭の太鼓が テンテケテンと鳴っちっち』など、田舎を小ばかにしたような歌詞が染みます」とコメント。

 まだ新幹線も開通していない時代の地方と東京の距離感を思い、橋本さんも「東京へのあこがれと、遠くへ旅立つ恋人へのやりきれない思いを強く感じます」と印象を語った。

 2曲目は、秋田出身で名古屋を中心に活動していたフォークグループ、マイ・ペースのデビュー曲『東京』(1974年)。

 当時の東京はあこがれる人も多くいる一方、高度経済成長による大気汚染や交通渋滞が問題視され、“脱東京"を叫ぶ若者も少なくなかったという。

 番組では、レコード会社の担当ディレクターだった岩田廣之さんのエピソードを紹介。この曲を聴き「彼らが堂々と“君の住む花の東京"と歌ったことには、東京者には分からない、田舎者の東京に対する憧れのイメージなのか」と、衝撃は大きかったよう。

 3曲目は、内山田洋とクール・ファイブの『東京砂漠』(1976年)。

 この曲について、中将さんは「1970年代に存在したという東京へのネガティブなイメージをよく表現した曲」だと評価する。

 なお「東京砂漠」という言葉は1964年の水不足の際に生まれた流行語だが、歌詞には作詞を手がけた吉田旺さんの“歌舞伎町でかつて憧れていた人のすさんだ姿を見かけ心が痛んだ”というエピソードが込められているという。

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