近衛忠大氏は行幸の実現に向け奔走した公卿の近衛信尋(のぶひろ)氏の、清基氏は鎌倉時代以来、武家礼法を担い、当時の行幸においても家光の指南役として重要な役割を果たした小笠原家の末裔。


四百年祭でデザイン監修を務める忠大氏は、大阪・関西万博イタリアパビリオンのアンバサダーの1人として、フィレンツェと京都の職人技をテーマにしたトークイベントなどを企画。日本の伝統文化の魅力を発信してきた。
そして、今世界で起きている紛争や分断といった現状を踏まえ、「もともと、公家と武家の間を取り持ったのが近衛家。今、さまざまな戦争が起きているが、文化や言葉の違いを越えていけるかどうかが課題。その中で『本来分かり合えるはずなのに、わかり合えなかった』誤解をほぐせば、寛永行幸のようなことができると発信していくのが私たちの役目」と話した。






寛永行幸四百年祭実行委員会・総合ブロテューサーを務める濱崎加奈子・京都府立大学准教授(伝統文化)は、「行列には全国230藩の大名のうち、約8割が集結した。一説では京都に:30万人か集ったとされ、当時の京都の人口が20万人だったことを鑑みれば、日本史上、最も豪華なもてなしだったのではないか。多くの文化人らが身分や分野を超えて準備し、産業や文化が花開いた。東海道か整備されて幹線の礎な築かれた。京都のあちこちでサロンのような集いが開かれ、技術や産業が振興した。後世に“寛永の美意識”をどう伝えるか」と話す。
そして濱崎さんは「人口が減少し、経済が停滞する今、伝統文化の各分野でも担い手が減っている。日本文化の故郷といえる寛永行幸の節目を盛り上げ、継承を考える機会に」と意気込む。

近衛忠大氏は四百年祭ロゴマークも制作している。
二条城と京都御所を表す二つの四角形が重なり合い、公武の融合をイメージ。
近衛氏は、「京都御所と二条城はいずれも南北を軸に設計されているが、御所が平安京以来の天体観測に基づき真北を向いているのに対し、江戸時代に築城された二条城は当時、西洋から伝わった最新の方位磁石(コンパス)に基づき、真北が東へ3度傾いている」と説明。
ロゴマークの四角い形の重なりがずれた部分は朝廷と将軍家を想起させる紫と金で着色し、寛永行幸は公武が重なった象徴であり、文字は近衞家に伝わる(信尋氏が残した)寛永行幸についての古文書から選んだという。







