愛娘・麗子を描いた肖像画で知られる画家、岸田劉生(1891~1929)。わずか38年という短い生涯の中で、西洋絵画から東洋の古美術まで幅広く吸収し、独自の美を追い求めたその画業をたどる展覧会「生誕135年 山王美術館コレクションでつづる 岸田劉生展」が山王美術館(大阪市中央区)で開幕した。4年ぶりの公開となる『麗子肖像』をはじめ、京都時代の日本画、晩年の静物画など、同館所蔵の劉生作品17点を中心に、劉生と交流した同時代の作家たちの作品も紹介する。

岸田劉生は東京・銀座生まれ。1908年、白馬会葵橋洋画研究所で黒田清輝に師事、外光派の表現を学んだ。その後、1911年に文芸雑誌「白樺」で紹介されたフィンセント・ファン・ゴッホら後期印象派の作品に強い衝撃を受け、画風を大きく変化させる。同じ年には、柳宗悦や武者小路実篤と知り合い、「白樺」を取り巻く文化人たちとの交流を深めた。1912年、高村光太郎らとヒュウザン会を結成。さらに1915年には中川一政、椿貞雄らと草土社を結成し、重厚で克明な写実表現を打ち出した。その作品は大正期の画壇に大きな影響を与えた。

劉生の画業を語る上で欠かせないのが、愛娘・麗子の存在だ。1914年に生まれた麗子を、劉生は1918年から繰り返し描いた。5歳の麗子をモデルにした『麗子肖像(麗子五歳之像)』(1918年/東京国立近代美術館蔵)を皮切りに、没年までさまざまな姿の麗子像を制作。成長とともに変化していく娘の姿は、そのまま画家自身の表現の変遷を映し出した。
今回、山王美術館で4年ぶりに公開された『麗子肖像』(1920年)は、そうした麗子像の魅力を伝える重要な作品の1つだ。この時期の劉生は油彩画だけでなく、同じモチーフを素描や水彩でも手掛けた。素早く自由に対象をとらえることのできる素描や水彩も、劉生にとっては目に見える形の奥にある「内なる美」を探るための重要な表現だった。

さらに今回初公開となる『麗子桜花図』(1920年頃)も注目作。麗子像にしばしば登場する肩掛けには、劉生ならではの逸話が残る。もともとは近所から台所の手伝いに来ていた女性の娘「お松」のものだったが、その素朴な味わいを気に入った劉生は、麗子のモデル料として買ったばかりの舶来品の肩掛けと交換したという。同作の麗子は肩掛けに身を包むもののはだしで、桜の枝の下、頬を染めてほほ笑む。
本展ではお松をモデルとした『村娘図』(1919年)も初展示する。大きな瞳に意志の強そうな光を宿した少女は、同年代の麗子とは異質な雰囲気をたたえ、劉生が描きたかったという「鄙(ひな)びた田舎娘の持つ或る美」を醸す。






