『寛永行幸四百年祭』饗宴を再現…新作能「寛永行幸」上演 満席の金剛能楽堂、能楽の絵巻物を堪能

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 また、実際に後水尾天皇と家光が鑑賞した能『猩々(しょうじょう)』を踏まえた「乱双之舞」も演じられた。

実際に後水尾天皇と家光が鑑賞した能『猩々(しょうじょう)』から「乱双之舞」〈2026年9月6日撮影 金剛能楽堂〉※画像提供・寛永行幸四百年祭実行委員会
当時は九番だったが、この日は「寛永行幸」「猩々」を上演〈2026年9月6日撮影 金剛能楽堂〉※画像提供・寛永行幸四百年祭実行委員会

 今回の上演では、当時公家として寛永行幸のコーディネート役を務めた五摂家筆頭近衛家当主・信尋(のぶひろ)氏の子孫・近衛忠大(ただひろ)氏が、上演前に祝いの口上「開口」を披露したのも特徴。

「開口」は五摂家筆頭近衛家・近衛忠大氏が務めた

 当時の「開口」は江戸幕府に仕えた儒学者・林羅山が作ったとされ、通常のものとは比べものにならないほど長く難解で、かつ漢文で書かれていたという。
 これが災いし、開口を謡った近衛家の家臣が晴れの舞台で絶句したとされ、切腹を覚悟したが、将軍・秀忠は「めでたき長文を作れと命じた私が悪い」とし、一度の失敗を処罰すれば、行幸という祝祭に傷が付かないよう配慮して“おとがめなし”とさしたとされる。 
 近衛氏は、「しっかりと謡い上げることができ、400年前のリベンジを果たすことができた」と話した。

「開口」を終え、「400年前のリベンジ果たせた」と語る近衛忠大氏 開口読み上げの際、「和紙は二枚重ね 墨がにじんでしまうから」との裏話も

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 公演まで3か月を切った6月下旬、金剛・林両氏が取材に応じ、“異流共演”について語った。

 金剛氏は「他流の方と舞台をご一緒すると、見ているだけでは気づかなかったことが、舞台の上で初めてわかる。間の取り方やテンポの違いなど、一緒に謡い、舞うことで、『なるほど、こういう感覚で能をなさっているのか』と実感した」と話し、「新たな試みは試行錯誤の連続。『走りながら創り上げるワクワク感』がある」と充実した表情。

新作能「寛永行幸」への思いを語る金剛流若宗家・金剛龍謹氏(画像右)と、京観世五軒家 林家当主・十四世林喜右衛門氏(同中央) 聞き手は濱崎加奈子プロデューサー〈2026年6月26日 京都市上京区・有斐斉弘道館〉

 そして林氏は「寛永の時代は、新しい文化の花が開き、太平の世が訪れた。現代とは状況が違うが、先人たちが培ってきた能という文化の豊かさによって、私たちは育てられてきた。次の四百年へつながるような舞台を創り、次世代へ能を受け継いでいける役者を目指したい」と話した。

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