『脱・ハンコ』最終回は神戸から京都へ。世界文化遺産「清水寺」(京都市東山区)。2020年、国宝・本堂の檜皮葺(ひわだぶき)屋根の葺き替え工事が終了し、覆いに隠れていた本堂が約3年ぶりに姿を現した。この良き年にコロナ禍で観光客は激減、しかしインバウンド(外国人訪日客)ではない、日本に住む人々が日本の風景や文化を再発見するための機会になったのではとの声もある。特に寺社は「印」とともに歴史を刻み、結びつきも強いと言える。シリーズ最終回は京都から日本の慣習、文化の魅力を発信する清水寺執事補・森清顕さんに聞いた。
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私たち寺院や神社にはなくてはならないご朱印。なにせ朱「印」。ブームとなり久しくなりました。ご参拝・ご参詣の“しるし”として重要なものととらえます。でも、カタチだけのハンコだってありますよね。コロナ禍で大なり小なり、生活スタイルの見直しを迫られた私たち。菅政権誕生と相まって、オンライン化・デジタル化の波はグングン押し寄せてきます。
特にハンコとハンコを取り巻く環境への是非を問う動き、それが如実に出ましたね。インターネット上で「電子ハンコ」なるものもありますが、私は作業の効率化を図ることができ、なおかつ実社会に差し支えないのなら、ハンコは要らないと思います。ただ、本来のハンコが持っている文化や捺印することの重みは大事にしたいと思うのです。また、この流れでハンコそのものが否定されていく風潮が起こるのは違うなぁ、惜しいなとも思います。
今回の世間の議論で気になったのは、実印。契約ごとが主になりますが、例えば大きな売買契約など人生をかけるような意味のハンコを捺印する経験は、ハンコにすごく重みを感じます。お寺の代表役員を拝命するときには、実印が必要です。私も清水寺でその実印を捺印するときに、大きな責任を感じました。
少し極端なことですが、仮にハンコそのものが否定されたとして、御朱印は信仰的、一種の文化的側面もあり残ると思います。しかし、文化ではない社会の実務において、最も上位にあると考えられている今上陛下が公文書に捺される「御名御璽印」は、どうなるんでしょうかね? 飛鳥時代の大宝律令や正倉院文書に既に見られ、現代まで受けつながれている実務印ですよね。