光秀も攻略に難儀した高城山「八上城跡」を探訪 ツアーで歴史に思いを巡らせる | ラジトピ ラジオ関西トピックス

光秀も攻略に難儀した高城山「八上城跡」を探訪 ツアーで歴史に思いを巡らせる

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 明智光秀ゆかりの地として注⽬される兵庫・丹波地域。そのなかで、光秀が長期にわたって攻めるも難攻不落の城として君臨した丹波三大山城の1つ、高城山「八上城跡」をメインに、篠山城跡、丹波篠山市内の中心部を訪ねるツアーが、10月18日に開催されました。

 今回の「明智光秀ゆかりの地」の魅力情報発信事業「八上城跡バスツアー」には、「兵庫・神⼾のヒストリアン」として活躍する⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授、久保直⼦といった『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関⻄)パーソナリティー陣とともに、多数の応募のなかから抽選で選ばれた17人が参加。途中、「八上城麒麟がくる委員会」委員長の小野健二さんも合流し、ツアーが進んでいきました。

 前日はかなり激しい雨が降り心配されていた高城山登山については、状況を確認したうえで登山可能となり、無事に決行。数ある登山ルートのうち、「野々垣口」から谷沿いに沢を登って行きました。そのときの様子とともに、田辺先生の歴史トークが、『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』でオンエアされました。

登山開始の様子(左)、谷筋を進む(中央)、朝路池跡(右)
登山開始の様子(左)、谷筋を進む(中央)、朝路池跡(右)

☆谷筋は意外と狭い!

【田辺】道路というのは、その時代その地域で一番大きな乗り物が行き来できたら良いんです。馬で登ることもあまりないでしょうね。ですから、人間が行き来できたら充分なんです。広い道をつけてたらすぐに攻め落とされてしまいますから、険しく通りにくい方が良いんです。お城といえば、姫路城みたいなお城を考えられると思いますが、それは戦争が終わってしまった平和な時代のもの。戦国、中世のお城というのは麓の館で住み戦うわけですが、落とされたときに逃げ込むのがお城なんです。ですから、立派な石垣や建物ではなく最終的に立て籠もる掘っ立て小屋みたいな食糧庫、あるいは武器庫を作って、登りにくくしました。

☆かなり山の高いところまで水が豊か

【田辺】立て籠もるということを考えると、飲み水が手に入りやすいということは非常に重要です。お城のある山を城山といいますが、高いからか高城山なのでしょう。ここは海抜が462メートルの独立峰。一番山頂の麓の肩の部分に池がありましたが、それが朝路池です。落城の時に朝路姫というお姫さんが身を投げたという伝説があり、朝路池という名前がついています。本丸の直下に、そんなに大きな池ではありませんが、今も水がたまっていて、いざという時の用水には十分な水量です。

野々垣口(左)、大竪堀跡(中央)、「八上城麒麟がくる委員会」委員長の小野健二さんと⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授(左)
野々垣口(左)、大竪堀跡(中央)、「八上城麒麟がくる委員会」委員長の小野健二さんと⽥辺眞⼈・園⽥学園⼥⼦⼤学名誉教授(左)

☆登山中の“田辺レクチャー”「えらいところだからお城を作ったんです」


『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年10⽉29⽇放送回音声

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ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波 | ラジオ関西 | 2020/10/29/木 17:35-17:50

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