この夏の全国高校野球選手権大会の決勝前日、高校女子の全国大会(全国高校女子硬式野球選手権大会)の決勝戦が、史上初めて阪神甲子園球場で開かれる。女子野球のチームは学生からプロまで全国その数が増えていて、年々その裾野が広がっている。兵庫県の淡路島には2017年まで女子プロ野球チーム「兵庫ディオーネ」があった。地元を中心に根強いファンに支えられていたが、18年に愛知に移った。女子プロ野球が淡路島に残したものは何だったのだろうか。
淡路島から愛知県に移った女子プロ野球チームのディオーネ。かつてチームを率いていたその人は愛知県の一宮市にいた。3年前まで監督を務めた碇穂(いかり・みのる、当時は碇美穂子)さんだ。碇さんは2004年の女子ワールドカップの日本代表に選ばれた元選手で、今の女子プロ野球が始まった2009年にプロ入りし、捕手として5年間プレー。その後、兵庫、愛知(ディオーネ)で通算5年間、監督を務め、何度も優勝に導いた。そして2019年のシーズン終了後に女子プロ野球から完全に離れたが、碇さんは実家のある東京に帰らなかった。
「ディオーネが京都に移ると聞いた時、愛知から女子野球がなくなってしまうと思いました。中部地区の女子野球を大きくする役目があったけど、できなかった」
そう思った碇さんは、選手たちの場所を作りたい、中部の女子野球を大きくしたいと思い、一宮に残る決心をした。「島を離れる時、いろんな思いがあったはずなのに淡路の方が応援してくれて。愛知でも頑張れ、と」。そんな声も碇さんの背中を押すきっかけになった。
一宮に残った碇さんだったが、知り合いがほとんどいない土地でのチームづくりは困難を極めた。ベーカリーでアルバイトをしながら、スポンサーになってくれる企業をまわり、選手集めに奔走。その結果、集まってくれたのは6人。そこから一時4人にまで減った。
それでも碇さんは「私の思いにかけてくれる、一緒に歩むと言ってくれた選手たちです。何かひとつを決めて一生懸命やっている人、それが求める人です。問題もあるけど、みんなで逃げずに話し合い、これを貫いてきました」と前を向く。
現在、選手は12人。元女子プロ、社会人、学生とさまざまだ。練習は毎週水曜と土日で、碇さんも含め選手はみな、地元の企業で仕事をしている。
「これもこだわりです。いろいろな会社の協力の元でやっています。社会で働いた経験があればその後も選手たちに何か残せるのでは、と考えました」。そして「野球は社会の縮図。組織力や判断・決断、会社から学べることがたくさんあり、野球に生かしてほししい」とも話す。
◆女子プロ野球が淡路島に残したもの
【(1)選手たちの今 大山唯さん】