「子どもの幸せのために家族が犠牲になる時代じゃない」令和時代の子育てとは カリスマ保育士・てぃ先生の提言 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「子どもの幸せのために家族が犠牲になる時代じゃない」令和時代の子育てとは カリスマ保育士・てぃ先生の提言

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 ちっとも言うことを聞いてくれない子ども、仕事と子育ての両立やワンオペ育児……。日々の子育てに疲れ、子どもへの愛情を感じられない、家族と離れて一人になりたいーーそう思い悩むお母さんの声を聴くことがあります。カリスマ保育士『てぃ先生』に、そうしたお母さん方や保育士へのアドバイスを聞きました。

YouTubeチャンネルの47万人登録者数、関東の保育園に勤める保育士・てぃ先生

  ◇  ◇

 まず自分自身が満たされていないと、他者に優しくすることなんかできないと思うんですよね。親も保育士も全く同じで、自分が頑張ることによって子どもたちが喜ぶ、みたいな自己犠牲って、もちろんそれで続く方は良いんですが、そうじゃない方が多いと思います。

 悩む方に共通して言えるのが、つらいのはすごくわかりますし、大変な思いをなさっていると思うんですが、子どものことを優先しすぎなんですよね。大変だ、大変だ、と言いつつも、子どものことを大事にしているから、悩んでいるんだと思います。もしも子どもがかわいくない、愛せない、と思っていたとしても、大事にしなきゃと考えているからこそ、そういう悩みになるわけですよね。その時点で、愛していない云々ではなく、子どものことを大事に考えられているわけじゃないですか。

 その前提の上での話ですが、対象は人間とはいえ幼い状態の子どもなので、いくら何かをしてあげたところで、お金やモノがもらえるといった、自分に対しての対価がすぐ訪れるわけじゃないですよね。だからどうしても人によっては、モチベーションが枯渇してしまいます。子育てで言えば、子どものためにキャリアをあきらめたり、子どものためにどこかに行く予定をやめたりとか、最初は子どものために良かれと思ってやっていたことが、そのうち『子どものせいで』に変わってくるわけですよね。子どものせいでキャリアをあきらめた、子どものせいで何かができない、となって、子どものためにと自分に言い聞かせていたことが、子どものせいで、に置きかわってしまうんです。

 相手のことを大事に思っているから色々なことをしてあげても、自分の幸せの器は一向に満たされないままなんです。幸せじゃない、ゆとりがない人間が、いくら子どもに対して大事にしたい、愛情を注ぎたい、こんなことをしてあげたいと思っても、自分が満たされていないからキツくなってくるわけですよね。

 これをよく例えて言うのが、「シャンパンタワーの法則」です。グラスをピラミッド型に立てて、一番上のグラスからシャンパンを注ぐと、どんどん下のグラスにシャンパンが注がれていきます。ご家庭の中でも全く同じで、二段目、三段目に置いてある子どものグラスに、幸せというボトルを注いでいっても、子どもは満たされるかもしれませんが、一番上にあるお父さん・お母さん自身のグラスは一向に満たされないわけですよね。

 だから考え方としては、お子様を幸せにすると考えるのではなく、どうしたら自分が幸せになるのかな、うれしいかな、楽しいかな、というところを念頭に置いて、一番上の自分のグラスから順にボトルを注いでいけば、自分からあふれた幸せが、二段目・三段目にいるパートナーやお子様にも波及していくわけですよね。そうすると、自然に子どもの幸せや喜ぶことを考えてあげられるようになると思います。

 それをいい母親でいなきゃ、子どもにいいことをしてあげなきゃ、ということばかり先に考えてしまうと、自分が枯渇しているのに、子どものグラスは満たされているように見えるから、余計に子どもが可愛くなく見えてしまうんだと思います。自分はこんなにツライ思いをして我慢をしているのに、目の前の子どもはなんだか楽しそうにしている、なんだか幸せそうにしている。その相手が自分に対して、お母さん抱っこして、これやって、と要求ばかりしてくると、余計、自分の時間や気持ちやゆとり、幸せを子どもに奪われるような感覚になってくるんだと思います。

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