元プロ野球選手・監督の田尾安志氏が、5月30日放送のラジオ番組『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』(ラジオ関西、パーソナリティー:林歳彦氏・田中大貴)にゲスト出演。常にチャレンジを続ける思いを語った。
田尾氏は、大阪府立泉尾高校、同志社大学を経て、1975年のドラフトで中日に1位指名。1976年から9シーズンにわたってドラゴンズの主力として活躍し、新人王、3度のベストナインなどを獲得。俊足好打の外野手として球界を代表するバッターの1人に。1985年からは西武、1987年からは阪神でプレーし、1991年をもって現役を引退した。
その田尾氏といえば、高校は家族の意向をくんで野球名門校ではなく公立高校に進学。「先輩がたった5人」という野球部で頭角を現した。大学時代は2年生で投手としてジャパン(大学日本代表)に選ばれれば、打者では3年生のときに首位打者になり、4年生ではキャプテンで、4番投手でチームを牽引。いわゆる「二刀流」の先駆者的存在だった。また、2005年に東北楽天の初代監督を務め、2019年からは沖縄初のプロ野球チーム「琉球ブルーオーシャンズ」のGMやシニアディレクター(SD)兼打撃総合コーチを担当。球界で新たなチャレンジを続けてきた人物の1人だ。
番組パーソナリティーで、フジテレビ時代はスポーツ番組などで親交のあったフリーアナウンサーの田中大貴から、「田尾さんのトライする精神が素晴らしい。楽天の初代監督、沖縄のプロ野球チーム、大学時代の二刀流など。初という言葉への思いは?」と質問された田尾氏は、次のように語る。
「僕はたぶん、そんなに守るものがない。食っていくだけなら、なにか一生懸命やればやれるだろうと。それが基盤にあると思う。なにか期待されるなら、できるならやってみようかなと。失敗してもゼロになるだけなので」(田尾氏)」
挑戦することに意味があり、それによって何かを見つけることが楽しいと話す田尾氏。しかし、年輪を重ねたなか、最近では「この年齢(68歳)になると、人が幸せになるのがすごい楽しい」とにこやかに語る。
「選手や(若い時代の)解説者のときは、自分を認めてもらいたいという思いだった。いまの(田中)大貴くん(42歳)のときが典型かなと(笑)。それはともかく、その年齢がもうちょっといくと、他の人たちがいい方向にいってくれるのがうれしいなと、そういうときがまた来ると思うし、年齢相応に考え方というのは変わってくるはずだと思うので」(田尾氏)