ヨットで世界最高齢となる単独無寄港の太平洋横断に成功した海洋冒険家・堀江謙一さん(83)。新西宮ヨットハーバー(兵庫県西宮市)で5日に開かれた帰港セレモニーには多くの友人や支援者らが集まり、ねぎらいの言葉をかけた。
その中に、白いレディースハットにワンピース姿、上品な出で立ちの小柄な女性の姿があった。堀江さんの妻、衿子(えりこ)さん。かつて堀江さんとともにヨットで航海していた。今回の航海中、継続的にラジオ関西の取材に応じ、「日本列島に近づくほど、海流や小さな島々が航行を阻む。とりわけ”暴れ馬”のような黒潮を乗り越えるのは困難。しかも搭載しているのは1畳分のソーラーパネル。3日間曇り空だと電源が取れない」と話していた。
日本時間の5月16日午前、堀江さんはハワイ・オアフ島の沖合約2.5キロを通過した。サンフランシスコを出発し、予定より約1週間早かったが、衿子さんはラジオ関西の取材に「まだまだ(この時点では)3分の1。ここまでは順調に進むんです。これから、スコールがあり、大波もやってくる。ここからが長いのです。日本に近づいて、最後は黒潮という関門が待っています」と冷静に答えていた。
衿子さんは毎日午前、衛星通信でヨットの位置や天候を確認し、操船する堀江さんからの報告を聞いたという。例えば、堀江さんに波の高さを尋ね、「5メートル」という答えが返ってきても、衿子さんは気象状況や、海図を見ながらGPS(衛星利用測位システム)を基に、「おそらく10メートルぐらいはあるのでは」などと察しながら、日々緊張感を持って接してきた。「心配をかけまいと思っているのか、強気なのか…」海上をともにしたパートナーだからこそわかるという。
いつも、「ヨット以外の趣味はない」と話す堀江さん。ある時、クラシック音楽家と話をする機会を持った。「どんなジャンルの音楽を聴かれますか?」との問いに「ヨットに乗れば、ラジオから流れる音楽ならば何でも」と返したが、続けて「強いて言うなら、やっぱり“波の音”が私にとっての最高の音楽じゃないですか」と答えたという。
セレモニーを終え、シャワーを浴びる堀江さんを待ちながら、衿子さんは「主人は、あれこれ思案するのではなく、まずやってみることを信条に生きてきたのです。口ぐせはいつも『大丈夫』。前向きなの」とささやいた。
例えば、琵琶湖で夜、船を浮かべても湖畔の灯りがあるから視界はさほど悪くない。しかし、海は違う。太平洋のど真ん中は真っ暗。どれだけ慣れていても不安なもの。「ヨットで”ひとりぼっち”の航海中は、顔を見て相談する人もいない。海の怖さと優しさが交錯する航海中、『大丈夫』という気持ちをしっかり持っていた」と話した。