1950年代なかばに日本に到来し、若者を熱狂の渦に巻き込んだロック。ですが日本人がそれをしっかり解釈し自分のものにするまでには長い年月がかかりました。ロックが日本に定着するまでの試行錯誤の歴史について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 今回のテーマはロックが日本のものになるまでの歴史。菜津美ちゃんはロックと言えば、どんなアーティストを思い浮かべますか?
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 UVERworldですね! めっちゃ好きでライブにもよく行きますよ。
【中将】 彼らの音楽も現在進行形のロックですね。でもロックの影響という意味では現代のポップスはもちろんアイドルソング、演歌までほとんどすべての音楽がロックの影響を受けています。
日本にロックが到来したのは1950年代半ば。ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1954)が日本でもヒットしたのが日本におけるロックの始まりだと言われています。直後にエルヴィス・プレスリーが登場して日本の若者の心をさらい、ロカビリーブームと言われる音楽とファッションが一体となったムーブメントがおこるわけです。いろんな人がプレスリーをカバーしますが、平尾昌晃さんの「かんごくロック」(1958)なんて有名ですね。
【橋本】 この曲は私でも知ってますね。ノリノリ!
【中将】 リーゼントの兄ちゃんがギター持って腰振りながら歌う感じですね。当時、平尾昌晃さん、ミッキー・カーチス、山下敬二郎さんの3人が「ロカビリー三人男」として爆発的な人気を集めます。
【橋本】 「かんごくロック」みたいな曲がロカビリーというジャンルになるんですか? ロカビリーはロックの中の1ジャンル?
【中将】 そのあたり少し複雑なんですが「かんごくロック」はいわゆるロカビリー風ポップスです。そしてロカビリーはロックの1ジャンルです。
ロカビリーはそもそも、白人のカントリーと黒人のR&Bが混じりあってできた音楽なんです。1950年代のアメリカでは同時期にロックンロールという音楽が流行し、この2つの流れが「ロック」という概念を作っていきました。そして日本にもロカビリーやロックンロール、それらに影響されたポップスが入ってくるわけですが、当時の日本人にはそこらへんの分類は難しかったのか「アメリカから入ってきたノリのいい曲はぜんぶロカビリー」みたいな認識で受け止められました。
【橋本】 たしかに難しいですね! 私にとっても全部ノリノリでロックンロールな感じです。
【中将】 そんな混沌とした状況の中でロックを吸収しはじめた日本ですが、その影響を受けてカバー以外にもいろんな新しい楽曲が生まれます。有名な坂本九さんの「上を向いて歩こう」(1961)もそんな曲の1つですね。
【橋本】 この曲もロックなんですか!? 典型的な日本の歌謡曲だとばかり……。
【中将】 出だしの歌い方に注目してください。「ウエヲムイテ アルコウ」ではなく「ウヘホムフイテ アールコゥウォウウォウウォウ」と歌ってますよね。本来の日本語としてはありえないこの発音は、ロカビリー歌手だった坂本さんが日本語の歌詞をよりロック風にリズミカルにメロディーにあてはめるために編み出したものだったんです。
【橋本】 へぇ~! 言われてみたらほんとにそうですね!
【中将】 作曲家の中村八大さんは初めこの歌い方が不満だったそうですが、「上を向いて歩こう」が世界的なヒット曲になったのは坂本さんのロック的なフィーリングがあったからなんだと思います。
【橋本】 この曲を聴くのって、飛行機事故で亡くなった坂本九さんを追悼する番組を観るときが多いので、ついつい切なくしんみりしたイメージを持っちゃってました。本来はとてもポップな曲なんですね。
【中将】 そうですね。もちろんちょっと切ない歌詞ではあるんだけど、リリース当時の受け止め方としてはロック的な要素も感じるポップな応援ソングといった感じだったでしょうね。