聖徳太子(574~622年)の没後1400年にあたり、世界文化遺産・比叡山延暦寺(滋賀県大津市)で太子ゆかりのお堂「椿堂(つばきどう)」と、本尊の「千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ・千手観音)像」が特別に開扉、公開される。9月3日(土)から12月4日(日)まで。
広大な延暦寺境内は3つのエリア(東塔・西塔・横川)からなり、椿堂は西塔エリアの一角にある。
延暦寺によると、椿堂内部の公開は初めて。延暦寺創建前の時代に聖徳太子が比叡山に登った際、 自身が護持していた観音像を安置し、建立したとされる。この地に太子が愛用していた椿の杖を堂の脇に挿したところ、芽を出し育ったという伝説が残っている。堂の近くには椿の木がある。
椿堂は太子の命日とされる2月22日に営む法要や、僧侶が90日間、堂内に籠もって座禅に集中する修行「常坐三昧(じょうざざんまい )」の場として使われ、これまで非公開だった。
織田信長の比叡山焼き打ち(1571年)で堂は焼け、現在の堂は1704年に再建された。本尊の千手観世音菩薩像の高さは約85センチ。
本尊の胎内仏(たいないぶつ)の菩薩半跏像は約9センチで7世紀の作。延暦寺国宝殿で限定公開される。
《椿堂本尊の胎内仏》
椿堂本尊の千手観音像の胎内仏と伝わる金銅仏。室町時代の『叡岳要記』には、椿堂本尊について「如意輪 聖徳太子御本尊奉納腹心」と記され、”本尊の腹心(胎内)に聖徳太子のご本尊を納入していた”とある。このような金銅の菩薩半跏像は従来、朝鮮半島伝来の弥勒菩薩と考えられるが、古くは如意輪観音とする例が多く、この記録の聖徳太子本尊の「如意輪」もこの像にあたると考えられる。7世紀(朝鮮三国時代か白鳳時代)の作で、朝鮮から伝来したか、日本でこれを写して作った可能性があり、比叡山に伝わる仏像としては最古とされる。
延暦寺参拝部は「千手観音は、文字通り”千の手”で、多くの人々を救う仏として信仰を集めてきた。新型コロナウイルス禍、ロシアによるウクライナ軍事侵攻など混沌とした時代だからこそ、千手花音と縁を結び、皆さんの心の安寧につながってほしいという願いを込めた。古来から霊峰としてあがめられた比叡山の歴史を感じてほしい」と話す。
【 比叡山延暦寺 公式サイト】
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