交通安全を促すため、1973年に誕生した「飛び出し坊や」。滋賀県東近江市にある看板製作会社の久田工芸が製作したことがはじまりといわれており、設置数も滋賀県が日本一だといわれています。昨今は「飛び出し坊や」というキャラクター性にも注目が集まり、グッズが展開されるほどの人気具合。
オリジナル版の製作のみに留まらず、写真展を開催するほどに「飛び出し坊や」に魅了された、ホテル琵琶レイクオーツカの支配人・山極さんに話を聞きました。
――好きになったきっかけは?
【山極さん】 2011年、当時勤めていた守山市にあるホテルまでのバイク通勤中に出会ったのがきっかけです。目がギョロッとしているのが特徴的な、飛び出し坊やの「Tくん」と目が合ってびっくりしたのを覚えています。
長年滋賀に住んでいたので、飛び出し坊や自体は馴染みのある看板だったのですが、「こんな変な顔をした坊やがいるんだ!」と衝撃を受けて……。あの日から11年になります(笑)。もともとコレクション癖もあったので、今では数えきれないほどの写真データがあります(笑)。
――コレクション写真の枚数は?
【山極さん】 1000枚ぐらいまでは把握していたのですが、それ以上は把握しておらず……。おそらく3000〜4000枚ぐらいだと思います。
そのなかには、同じ飛び出し坊やの写真もあります。飛び出し坊やは、塗装がはがれてきたら塗り直したり、時には生まれ変わったり……というのを繰り返すんです。その“成長”具合を見ることが楽しいですね。年月を経るにつれて表情が変わっていくので、ついついいろんな写真を撮ってしまいます。
――特にお気に入りの飛び出し坊やについてお教えください。
【山極さん】 「飛び出しアマビエ」と「飛び出しビワイチアマビエさま」がお気に入りです。実はこれ、当ホテルのスタッフと共に作ったものなんです。2020年、コロナ禍によって世間全体に暗い雰囲気が広がっていたときに「少しでも明るいニュースで元気になれば」と、疫病退散の思いを込めて、まず「飛び出しアマビエ」を製作しました。
その後、滋賀県でビワイチサイクリングを楽しむ方が増えてきていることもあり、安全祈願の思いを込めて自転車に乗っている2号機の「ビワイチアマビエさま」を製作しました。