インターネットが発達した現代、海外の音楽はとても身近な存在になりましたが、昭和時代にもすでに音楽の交流は世界規模で起こっていました。今回はそのなかで生まれた”なぜか海外でだけヒットした日本の楽曲”について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 「音楽は国境を越える」と言いますが、昭和時代から日本のいろんな歌謡曲やポップスが海外でも愛されてきました。大半が坂本九さんの「上を向いて歩こう」(1961)のように日本でもよく知られた曲なのですが、中には特定の国でしかあまり知られていないという曲もあります。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 洋楽でも日本でしかヒットしなかったり、邦楽でも特定の地域でしかヒットしなかったり、いろいろありますよね。
【中将】 自分の中だけで流行ってる曲などもあるくらいですからね(笑)。でも、なぜ限定ヒットだったのかという経緯を調べると、なかなか面白いんです。
たとえばタケカワユキヒデさんの「グッド・モーニング・ワールド」(1978 ※演奏はゴダイゴ)。ドキュメント映画『キタキツネ物語』劇中歌で、サントラ盤は日本ではオリコン・ウイークリーチャート34位とスマッシュヒット止まりだったのですが、中国ではこの映画が戦後初めて日本文化を解禁した「第1回日本映画週間」というキャンペーンで取り上げられ、国民的大ヒットを記録したんですね。「グッド・モーニング・ワールド」も当時、若い世代では知らない人がいないほど流行ったそうです。
【橋本】 曲自体も楽しくかわいらしい雰囲気で、かつ、ポップなので、子どもに刺さったんでしょうか。
【中将】 30年ぶりに入ってくる日本文化なので注目度も高かったでしょうが、やっぱり曲がいいですよね。ゴダイゴは「ガンダーラ」(1978)といい、「銀河鉄道999」(1979)といい、音楽ファンにも子どもにも刺さる独特の作風ですから。
【橋本】 確かにそうですよね。あらためて、音楽って国境を越えてると感じます!
【中将】 次にご紹介するのは五輪真弓さんで「心の友」(1982)。これは1980年代当時、インドネシアでヒットしました。
【橋本】 初めて聴きましたが、オーソドックスないいポップスです。
【中将】 「潮騒」というアルバムの1曲で、日本国内では特にプロモーションもされなかったので熱心なファンくらいしか知らない曲でした。ですが、1983年に五輪さんのコンサートを訪れたインドネシアのラジオ関係者が、この曲に感動して現地で紹介したところ大ヒット。学校の音楽の授業の課題曲にもなり、今では「第2の国歌」と言われるほど広い層に愛されているそうです。自分の中だけで流行った曲が周囲を巻き込んでいった典型的なパターンですね。