ブルース・リー、ジャッキー・チェン、ジェット・リーらがカンフー技術を競った香港アクション映画の裏側を、武術指導者をはじめとした大勢の証言で明らかにするドキュメンタリー。映画『カンフースタントマン 龍虎武師』が1月6日(金)、全国ロードショーです。
CGは使わない、ワイヤーも使わない、ノーと言わない、これが当時の香港のスタントマンでした。
ハリウッド映画にも出演するアクション俳優ドニー・イェンはこの映画の冒頭で「香港のスタントマンは大半が京劇と体操出身です」と語っています。
カンフー映画のルーツは京劇で、1960年代、京劇学校が香港に4校できました。中国本土から香港へ移住した京劇役者たちが貧しい家の子どもたちに教えていたそうです。今作にはユン・ピョウが京劇の舞台でバク転を繰り返す当時の映像が出てきます。サモ・ハン、ジャッキー・チェンらもユン・ピョウと同じ学校で京劇を学んでいましたが、卒業する頃には京劇の人気が落ち、習得した技術を映画のスタントに生かすようになりました。
当時のカンフー映画のファイトシーンは、舞踊のような京劇スタイルの戦い方が主流で、武術と演技の基礎を身につけた彼らは、多様なアクションを演じることができました。
1971年、ブルース・リーが主演した『ドラゴン危機一発』が大ヒットします。サモ・ハンは「学生時代をアメリカで過ごして香港に戻ったブルース・リーのカンフーは実戦的だった」と話します。
ブルース・リーは、戦う場面に出演するスタントマンたちに実戦的なアクションを要求し、それまでのカンフー映画のスタイルを覆しました。
『燃えよドラゴン』に子役として出演したトン・ワイは「映画業界は大変換期にありました。私たちのような人間が求められていました」と振り返ります。
1973年にブルース・リーが32歳で亡くなると、カンフー映画の人気が低迷し、多くのスタントマンが職を失ってしまいます。