劇作家・演出家の平田オリザさんがパーソナリティを務めるラジオ番組(ラジオ関西『平田オリザの舞台は但馬』)に、舞台美術家の杉山至さんが2週にわたって電話出演。学生時代からの付き合いになるという平田さんとの当時のエピソードや、演劇の魅力について語った。
1週目は2人の出会いから、杉山さんが舞台美術家になるまでの経緯にフォーカス。高校時代はバンド活動に熱中したという杉山さん。演劇が好きな友人に連れられて見にいった芝居が、まだ大学生だった平田さん率いる劇団「青年団」だったそうで、当時を振り返った杉山さんはこのように語った。
「カルチャーショックでした。平田さんはすでに(国際基督教)大学でも『17歳で世界をまわっているとんでもないヤツがいる』と超有名人だった。4歳上で心理学を専攻している姉に『黄色いオーラが見えた!』と報告したのを覚えています(笑)」(杉山さん)
平田さんの舞台観劇をきっかけに青年団に所属。入団当初は俳優として舞台に立っていたが、やがて客観的に舞台を俯瞰したい思いが強くなってきたという。ちょうどそのころ、平田さんの影響を受けて中国、ネパールなど世界を放浪していた杉山さん。6万円だけを握りしめて向かったヨーロッパでは、またしても運命的な出会いを経験する。
「スペインでアントニオ・ガウディの建築を見て、『世界』がつながったんです。それまでに興味を持っていた哲学や文学、人間の体など、世界のすべてが『建築』で表現されている。興奮して知恵熱を出しながら青年団の仲間に国際電話をしました」(杉山さん)
スペインでの衝撃的ともいえる経験から、大学卒業後には早稲田大学の夜間大学で建築を学びなおし、建築士の資格を取得したという。
2週目は舞台美術家、大学教員として活躍する杉山さんの仕事に迫った。
劇団青年団でこれまでに使用された舞台美術のすべてを杉山さんが担当。2014年には『第21回読売演劇大賞最優秀スタッフ賞』を受賞するなど、受賞歴も多い。「杉山さんの舞台美術には『建築』の視点がある。だから、ほかの舞台美術家とは違う表現がある」と平田さんも全幅の信頼を置いている。
杉山さん自身も、平田さんの作品に携わる際に心がけていることがあるという。
「平田さんが『僕は来た球を打つだけだから、好きなプランを考えていいよ』と言ってくれる。昔、オリザさんが『オレ、発明した!』と言ったんです。『東京ノート』という作品には3人掛けのベンチが3つあって、そのベンチには背もたれがないから、後ろを向いたり横を向いたり自由に座ることができる。そこで『順列組み合わせで9人をそれぞれ配置することで会話の関係性や距離感、質が変えられる。これであらゆるバリエーションが作れる!』と。オリザさんの作品を手がけるときには、そうした“モノと空間のコミュニケーション”を大切にしています」(杉山さん)