プロ野球の近鉄やオリックス、ヤクルトで外野手として活躍し、昨シーズン限りで現役を引退した坂口智隆氏(38)が、ラジオ関西の番組にゲスト出演。現役引退を決意した当時の心情や、今後の展望などを語った。
ゲスト出演したのは、林歳彦氏(会社経営者・環境活動家)とフリーアナウンサーの田中大貴(元フジテレビアナウンサー)がパーソナリティーを務めるラジオ関西『としちゃん・大貴のええやんカー!やってみよう!!』2023年2月13日放送回。
兵庫県明石市出身の坂口氏は、神戸国際大学付属高校で2年生時に投手として甲子園に出場。その後、近鉄最後のドラフト1位指名選手(2002年)としてプロ入りすると、右投げ左打ち・俊足好打好守の外野手として台頭し、オリックス時代は4年連続ゴールデングラブ賞に選ばれたり2011年に最多安打を記録するなど長きにわたって主力で活躍。2016年からはヤクルトに移るとセ・リーグでもその力を発揮し、2021年はチームの20年ぶりとなる日本一にも貢献。昨年、20シーズンにわたった現役生活にピリオドを打った。通算成績は打率2割7分8厘、1545試合出場、1526安打。
「グッチ」の愛称で多くのファンから愛されていた坂口氏は、引退を意識し始めた当時の心境を次のように回顧する。
「レギュラーを目指せなくなったというか……控えでどうやって結果を出そうかなって考え始めたときに、『今までやってきた取り組みの姿勢と違うな』みたいな感じになって、(引退を意識したのは)それからですね。ここ何年かはずっとそういうことを考えていましたので。もうそろそろかなというのが2年くらいあって、でもなんとか『もう1回やりたい』という思いがあったのですが、急に“ぷつっ”ときた(緊張の糸が切れた)というか。そのタイミングで球団と話をする機会もあったので、そこでだんだん辞める方に気持ちが傾いた感じです」(坂口氏)
ただし、「自分で『辞めます』というのがつらくて、最後そこで(決断が)めちゃくちゃ長かったですね。伝えるのが一番苦しかったです」と、引退を口にすることに葛藤したという坂口氏。引退前、母親に相談したときには、「オカンには『きれいに辞めなさい』と言われました」と引き際についてのアドバイスもあったそう。一方で、高校時代の恩師と話したときには、「まだ辞めてないのに、僕の気持ちが『もう辞めてるやん』という感じだったようで、話しているときに『もう辞めます』というていでしゃべっていたんでしょうね」と振り返り、「でも、自分で決めるしかなかったし、野球のことは自分でほぼ決めてきたから、その辺の整理も自分で決めたかった。最後は一人で決めました」と、決断の経緯を語った。
現役最後の試合となった2022年10月3日、ヤクルトのシーズン最終戦セレモニーの際には、同じく現役を引退することになった内川聖一氏、嶋基宏氏とともに、高津臣吾監督からメッセージを送られた坂口氏。「グッチ、坂口! なんとなく昭和感の残る、痛くても痛いと言わない男。しんどくても歯を食いしばってプレーする姿は、我々が若手に指導するよりも何よりも若い選手の刺激になったと思う」という言葉が指揮官から寄せられ、スタジアムは満場の拍手に包まれた。そのときの感想について問われると、坂口氏は「(メッセージが)素敵でしたね。(心に)響きました。やってきてよかったなって思わせてくれました。ここでやめられて良かったなと」と感慨ひとしおの様子だった。
現役を終え、第2の人生をスタートした坂口氏はいま、新たなキャリアへ意欲満々の様子。「まずは名刺の出し方から、ですね。名刺も作ってもらって、今ちょうど挨拶周りをする時期なので、『よろしくお願いします!』と自分の頭を下げながら伝えていっていますが、そうやっていくのも楽しいです。(野球)解説などの話もいただいているので、それもやりつつ、何か自分のやりたいことを見つけていくのにワクワクしています」と前を向く。
坂口氏は、社会人について「自分で何かやられてる人たちというのはすごい魅力を感じる」と話し、さらに「自分で何かできることはないか考えたりもするけど、考えれば考えるほど『野球しかやってへんかったな』みたいになって。選択肢もまだない状態なので、いろいろ見ながら『こういうことも仕事としてあんねんや』とか感じています」と、学ぶことに楽しさを感じている様子を見せていた。
この話を聞き、田中アナが「プロ野球選手はマネージャーがチームに何人もいて、移動の時のチケットなども全部とってくれるから、(きっぷなどの)買い方を知らない選手がけっこういるらしいですね」と言うと、坂口氏は「本当に知らなかったです……。最近、新幹線のチケットをやっと携帯でとれるようになりました(笑)」と話す場面も。