小学校や中学校のとき、体育館や教室に入るために使っていた履き物のことを何と呼んでいましたか? おそらく「上履き」や「上靴」などと呼んでいた人が多かったのではないでしょうか。地域によっては「ズック」や「室内履き」と呼ぶところもありますが、和歌山県では「バレーシューズ」が主流なのだとか。
球技の「バレー」や舞踊の「バレエ」が盛んというイメージのない同県ですが、なぜこの呼び方が浸透したのでしょうか。 不思議に思った筆者は、学生服のリユース販売をおこなう『さくらや』(所在地:和歌山市東長町)の蛭間さんに話を聞いてみました。
なぜ学校で上履きが使用されるようになったのかというと、日本で1872年に発令された「学制」が深く関係しています。学制とは明治維新の三大改革のなかのひとつである教育改革に位置付けられる政策で、近代的な学校制度を作ることにより民衆への意識づけや知識レベルを高めることを目的としていました。フランスの学校制度を模した政策ということもあり校舎の洋風化がどんどん進められましたが、日本古来からの“靴を脱いで室内に入る”という文化は根強く残りました。戦前までは足袋などに履き替える生徒が多かったのですが、徐々に室内専用の履き物、いわゆる“上履き”が広まっていったといいます。
「バレーシューズ」と呼ばれるようになった理由を蛭間さんに尋ねたところ、
「バレエの『トゥシューズ』を参考にして作られたため……という話を聞いたことがあります。バレーシューズの靴底もトゥシューズと同じく外履きの靴に比べすべりにくいように作られています」(蛭間さん)
現在、日本でおもに浸透している上履きは福岡・久留米市生まれの大手シューズメーカー『ムーンスター』のもの。同社が1950年代に発売していた「新製品Aシューズ」と、甲の部分にバンドがついた「バレーシューズバンド付」という2種類の靴が原型になっているといわれています。
これが和歌山県に持ち込まれ「バレーシューズ」という商品名そのままで広まり、令和の現代でも定着している可能性があると推測されます。