「小室ファミリー離脱が転換期」 デビュー30年のhitomi 行動力支える考え方にDJ KOOも納得 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「小室ファミリー離脱が転換期」 デビュー30年のhitomi 行動力支える考え方にDJ KOOも納得

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「失敗してもいいからとにかく経験することが大切」。そう語るのは、シンガーソングライターのhitomiだ。22日放送のラジオ番組『DJ KOO×REBOOT THE WORLD』(ラジオ関西)でこれまでの活動を振り返り、自身が大切にしている考え方について語った。

シンガーソングライターのhitomi(写真左)、DJ KOO(同右)

 シンガーソングライターのhitomiは、1994年にCDデビュー。以来、『CANDY GIRL』『LOVE 2000』『SAMURAI DRIVE』など数々のヒット曲を発表し、数多くのライブ・イベントにも出演している。歌手活動のほかにタレント、モデル活動、アパレル、美容ケア商品、健康食品のディレクションなど多方面で活躍。さらに、プライベートでは4児の母として公私ともにアクティブに活動中だ。

 パーソナリティーのDJ KOOが所属するTRFが世に出た翌年にデビューしたhitomi。きっかけは、あるオーディションに応募したことだという。

 さまざまなオーディションに挑戦していた17歳のころ、ディスコ開催のために18歳以上であることが条件のオーディションに誤って応募してしまったという。当然、受けることは叶わなかったものの、ディスコを運営していた会社の関係者に小室哲哉がいたのだそう。

「ちょうどそのころ、小室さんが『女の子のグループを作りたいんだけど、いい子いない?』と探していたみたいなんですね。それで、はじかれた履歴書がなぜか小室さんのもとに渡り、事務所から連絡がきたんです」(hitomi)

 グループでデビューする可能性があったことに驚きを隠せない様子のDJ KOO。小室から連絡がきたのと同時期に別のオーディションを受けていたhitomiは、ソロデビューに至るまでの経緯を明かした。

「女の子5人くらいで受けたオーディションだったんですけど、私だけちょっとコギャルっぽいというか、ちょっとチャラチャラしてて(笑)。そこでまたオーディションに落ちたので、『じゃあ1人でデビューさせたらどうかな』という感じ」(hitomi)

 小室との偶然の出会いを経てデビューし、今年で活動30年目を迎えるhitomi。これまでの活動でターニングポイントとなる出来事はあったのだろうか。この質問に、hitomiは「小室ファミリーを離れたことがいわゆる転換期だったと思う」と回答。

 小室ファミリーを離れるということは当然、これまでのように楽曲を作ってくれる人はいない。当時のマネージャーに「どうする?(自分で)作ってみれば?」といわれたことをきっかけに、「どうやって作るのよ!」と思いながらも作曲に挑戦したという。

「最初は鼻歌をテープに録音したり、自分の(曲の)バンド演奏をしてくれていた人にギターのコードを教えてもらったりしましたね。『空』という曲があるんですけど、あれは自分で鼻歌を入れながら自力で作ったものです」(hitomiさん)

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