乗客106人が亡くなり、562人が重軽傷を負ったJR福知山線脱線事故は4月25日、発生から18年を迎えた。この事故で、当時大学生だった次女が重傷を負った三井ハルコさん(兵庫県川西市)がラジオ関西の取材に「記憶があいまいになることへの危惧とアップデートする記憶」について語った。
三井さんをはじめ、事故の負傷者と家族らの有志は、事故から約2か月経った2005年6月、思いを話し、共有する「語りあい、分かちあいのつどい」をスタートさせた。
そして事故の2年後、2007年7月から「補償交渉を考える勉強会」を開催。その後、補償(賠償)交渉などが個別では対処しきれなくなったため、2008年2月に「JR福知山線事故・負傷者と家族等の会」を設立した。また負傷者やその家族らの「空色の会」も生まれた。
三井さんは、資料やメモ、映像など、記録を残す作業を大切にしてきた。しかし年月が経てば、当事者それぞれが事故に対して費やす熱量にも変化が現れるという。
無理やりにでも記憶を上書き(アップデート)しなければ、後世に伝えていくことはできないのだろうが、最近、自分自身の記憶のアップデートに自信をなくしそうになる瞬間があるという。
そこで感じるのは「どうか、一緒に覚えてほしい、共有してほしい」という気持ちだった。そしてお仕着せではなく「一緒に伝えてください」という思いにつながっていく。
三井さんの次女は事故車両の2両目に乗り、大けがをした。事故直後に気を失った。でもそれなりに記憶はある。だからトラウマに悩まされた。電車に乗れなくなった時期もある。
今でも電車に乗ることに抵抗があるが、新型コロナウイルス感染拡大による影響で、在宅勤務となり、内心、ホッとしていたという。電車に乗るという精神的負担が、少し軽減されたからだ。
時間がすべてを解決してくれるのではない。一度壊れた心、傷んだ身体は、そう簡単に元に戻らない。むしろ目に見えぬ“しこり”、無言の“苦しみ”として、重くのしかかる。
トラウマを治療するために、事故の翌年、暴露療法(エクスポージャー療法)を13回受けたこともある。不安の原因となる刺激に段階的に触れて不安を消していくもの。 次女は何とか乗り切った。
そんな時期を乗り越えて事故から18年、三井さんと次女との間には、次女から話してこない限り、事故のことを話さないという暗黙のルールがあるという。18年という時間の幅があっても、次女の心情について新たに知ることも多い。
次女は昨年、示談交渉を終えた。示談は事故の当事者にとって非常に大切なことなのだが、当事者はプライベートの時間を割いて加害企業側と接点を持たなければならない。心や体の不調と向き合いながら接する辛さの中、18年近く経っても続いている現実がある。
しかし、簡単に示談に応じるわけにはいかない。補償金額云々ではなく、納得して応じないと、示談が終われば、加害企業との関係が絶たれてしまうからだ。