太平洋戦争の終戦前日、アメリカ軍による最後の大阪大空襲で多くの命が失われた「京橋駅空襲」。8月14日、78年を迎え、犠牲者を悼む慰霊祭がJR京橋駅南口の慰霊碑前(大阪市城東区)で営まれた。
慰霊祭は1955(昭和30)年に始まり、69回目となった。
1945年(昭和20年)8月14日、アメリカ軍のB29爆撃機145機が来襲(第8次大阪大空襲)。ターゲットは大阪城の敷地内にあった大阪陸軍造兵廠(大阪砲兵工廠)。6万5000人が動員された東洋一の軍需工場と呼ばれていた。B29爆撃機は650発もの爆弾を次々に投下、造兵廠一帯は壊滅的な被害を受けた。その際、1トン爆弾が近くの国鉄京橋駅を直撃し駅舎は吹き飛んだ。身元が判明した死者は210人、実際の犠牲者は500人~600人と推定されている。
慰霊祭世話人会(大阪市旭区)によると、空襲被災者や遺族へ送付した案内状はのべ約400通。被災者の高齢化が進み、体調面を考慮して参列を自粛する人も多く、参列者は来賓を含め約150人にとどまった。
大阪府吹田市の女性(78)は、娘らとともに訪れ、当時26歳で亡くなった父を弔った。女性は「当時私は生後1か月。父の顔をまったく覚えていない。あの空襲さえなければ、父も私も人生が変わっていたと思う」と目を潤ませた。