「あの伝説の深夜番組」『11PM』~25年も続いた理由とは | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「あの伝説の深夜番組」『11PM』~25年も続いた理由とは

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 ラジトピの名物コラム、鉄アナ・羽川英樹「行ってきました!」。今回は番外編=特別企画として、フリーアナウンサーの羽川英樹が、読売テレビのアナウンサー時代に携わった伝説の深夜番組『11PM』(日本テレビ・読売テレビ)を語ります。

羽川英樹

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 日本の高度経済成長期からバブル期に至るまで、月~金曜の毎日深夜に生放送していた伝説のワイドショー『11PM』。番組がスタートしたのは東京五輪の翌年、1965(昭和40)年でした。この頃は午後11時でテレビ番組はすべて放送終了し、みな眠りについたものです。

 そんな中で、日本テレビのプロデューサーがアメリカNBCの深夜番組『ザ・トゥナイト・ショー』(The Tonight Show)に目をつけ、日本でも深夜の生ワイド番組を開拓しようと考えたのです。

 しかし、深夜の生放送となれば営業サイドからは「誰も見ていない。砂漠に水をまくようなもの」と一蹴され、労働組合からは残業と深夜勤務をたてに猛反対をうけます。

 そこで月・水・金曜は東京の日本テレビ、火・木曜は大阪の読売テレビが制作を分担することで着地点をみつけ、以降なんと25年間・8625回に渡って放送されることになります。

 私もそのうちの7年間、読売テレビアナウンサーとして番組に出演し、いろんな方に出会い、また先輩からもいろんなエピソードも聞きました。そんな思い出を含めて、少し振りかえってみたいと思います。

「東京イレブン」(日本テレビ制作の『11PM』)の番組スタート時、司会者は読売新聞の山崎英祐さんでした。硬派のニュースを中心にやっていましたが視聴率がとれず、やわらかいネタも加えようとなりました。そのときに白羽の矢が立ったのが、当時、構成作家としてスタッフに入っていた大橋巨泉さんだったのです。

 表舞台にひっぱり出された巨泉さんは、主に月・金曜を担当し「野球は巨人、司会は巨泉」で人気を博します。月曜は結構硬派な社会問題も取り上げつつ、風俗最前線でバランスをとる構成。金曜は男の娯楽色全開。服部名人(釣り師の服部善郎さん)が登場した「イレブンフィッシング」や、「麻雀実践教室」、「イレブンダービー」、ゴルフ、「CAR GUIDANCE」と並びます。そして番組ホステス・朝丘雪路さんとの名コンビで「ボイン」なる流行語も生まれるのです。

 水曜は愛川欽也さんのイメージが強いのですが、当初はジャズ評論家の小島正雄さんや、『スター千一夜』(フジテレビ)でおなじみの三木鮎郎さんなどが軽妙洒脱な司会を務めていました。

 そして我が大阪は直木賞作家の藤本義一さんが、一貫して25年間火・木曜の司会を担当。初代ホステスは祇園の芸妓だった安藤孝子さん(1965~69)でスタート。はんなりした京都弁と何事もさらっと交わす京女気質が評判を呼びました。以降、歴代ホステスでは真理アンヌ・東てる美・松居一代さんなどが印象深く、由美かおるさんのショータイムも評判を呼びました。

 当時、読売テレビの初代スタジオは大阪・南森町にありました。個室の楽屋がほとんどなく、藤本さんも我らと一緒の大部屋の片隅で本番までひたすら執筆していた姿を思い出します。ゲストが超有名人であろうと一般人であろうと態度やスタンスを一切変えず、話をうまく聞き出し、独自の感想を語っていた義一さん。

 サントリーの生CMではバーテン役の野村頻紹さんが、本番中に「藤本さん、藤本さん」と入ってきて水割りを出演者に提供。藤本さんは本番中に水割り5杯ほどのみ、酔っぱらってしまうゲストもいましたし、みな煙草も自由に吸っていました。

 火曜はタイムギャングと名乗る「マガジン風」の番組構成。主にサブカルチャーや最新風俗を取り上げてました。

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羽川英樹ハッスル! (1) | ラジオ関西 | 2023/08/17/木 10:00-11:00

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