時代の移り変わりとともに、さまざまなスタイルに変化していく結婚の形。バブル期には“ハデ婚”が多くみられましたが、現在は、“少人数制の挙式”や“ナシ婚(挙式を行わないこと)”などに変化。「仲人を立てない」「結納は行わない」という選択肢も増え、目にする機会の少なくなった結婚の文化も多くあります。
今ではすっかり見なくなった文化のひとつが、紅白の垂れ幕で飾られた派手な「花嫁トラック」です。昭和の時代に多くみられた花嫁トラックの歴史について、流通科学大学准教授で婚礼研究家の道前美佐緒さんに話を聞きました。
―――花嫁トラックが登場したきっかけは?
【道前さん】 1950年代後半に登場した「三種の神器」(冷蔵庫、テレビ、洗濯機)がきっかけです。1950年代以前の嫁入り道具は衣類などが中心でそれほど大規模な物はなかったのですが、前述の電化製品が登場したことにより、それらを運ぶためにトラックが使われるようになったのです。
そのなかでも特に、婚礼が派手といわれている名古屋などで花嫁トラックが発展しました。
―――なぜ派手なトラックを使っていた?
【道前さん】 そもそも花嫁トラックは、花嫁の“荷入れ”を豪華に見せるために登場しました。昔は、結婚して嫁に入ると自分の物はほとんど買ってもらえなかったため、着物や普段着など一生分の財産を持って嫁ぐことが一般的でした。嫁入りの際には、「嫁がどんな着物を持ってきているのか」などが注目されており、近所の人たちが家に上がって嫁入り道具を見る、という慣習があるほどでした。
つまり、荷入れは実家から運んできたものを近所の人たちにアピールする婚姻儀礼のようなもの。その結果、旦那の家に恥をかかせないよう、より豪華に見せるために派手なトラックで花嫁道具を運ぶようになりました。また、1960年ごろは高度経済成長期でもあり、とにかくなんでも派手にする時代だったことも理由のひとつです。
―――花嫁トラックは裕福な家庭の慣習だった?
【道前さん】 花嫁トラックの最盛期は高度経済成長期だったため景気も良く、田舎から都会に出てくる人や一般的なサラリーマン家庭、農家など、あらゆる人たちが使っていました。このころには、嫁の荷入れ時だけでなく、2人暮らしを始める人たちが使うことも多くなっていました。
2人暮らしを始める新婚さんのなかには、購入したベッドが大きすぎていざマンションに入れようとしたら入らない、ということも多かったそうですよ(笑)。