“最後の漫才”から1週間で急逝 芸人・おかゆうた 厳しさの裏にあった愛を高山トモヒロが振り返る | ラジトピ ラジオ関西トピックス

“最後の漫才”から1週間で急逝 芸人・おかゆうた 厳しさの裏にあった愛を高山トモヒロが振り返る

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「亡くなる前に舞台に立てたのは、神様からのギフトだったんじゃないかと思う」。

 お笑いコンビ・ケツカッチンの高山トモヒロが、自身がパーソリティを務めるラジオ番組で、2023年8月に死去した芸人・おかゆうた(おかけんた・ゆうた)との思い出を振り返った。

高山トモヒロ
高山トモヒロ

 脳内出血により61歳でこの世を去ったおかゆうた。吉本総合芸能学院(NSC)の1期生で、ハイヒールやダウンタウン、トミーズといった有名漫才師の同期だが、もとは喜劇俳優の岡八郎の弟子で、兄弟子にはオール巨人(オール阪神・巨人)がいたのだそう。

 高山は、「オール巨人師匠は、岡八郎師匠が次の日に岡山で仕事があるとすると、前日に地図を見るだけじゃなくて実際に車でその場所まで行ってたんですよ。当時ナビも無い時代だったから、もし道に迷ったらいけないと下調べをしてたそうなんです。兄弟子がそれくらいすごい人だから、弟弟子であるゆうたさんも当然、ものすごく頑張りますよね」と、おかゆうたの在り方にオール巨人が影響したであろうことを語った。

 若手時代には、おかゆうたに挨拶の仕方で注意を受けた経験もあるという。高山が話したのは、“花月会”と名の付いた食事会に呼ばれた際のエピソード。午後4時頃に始まっていた宴会に、舞台出演後、夜8時頃に合流したときのこと。

「一人ひとりに挨拶したら師匠たちの話を止めてしまうと思って、軽く挨拶をして、端の方でご飯食べてたんです。そしたら食事会が終わった後、ゆうたさんに止められ『あんな挨拶はあかんやろ』と。店の前で並んで立たされて……(おかゆうたは)それだけ厳しい世界に身を置いていたんだろうと思います」(高山)

 そんな若手時代を経て、数年後にはおかゆうたの自宅に招かれ食事をするようになったという高山。「あんなに厳しかった兄さんの家に呼んでもらえるようになったんだと。ありがたい話でしたね」と思いをかみ締め、厳しい指導は、裏に後輩への愛情があったからこそだったとの認識を新たにしていた。

 さらに高山は、おかゆうたの逝去直前の“最後の漫才”について語った。

 おかゆうたは、2020年に体調を崩して以来、芸能活動を停止。「ずっと漫才もしてなかったのに、ゆうたさんから相方のけんたさんに連絡して『漫才したい』と。それで8月15日の舞台に立って、7日後に脳内出血でお亡くなりになってる。これは『最後の漫才をどうぞ』っていう神様からのギフトだったんじゃないかと、僕は思います」(高山)

 高山は最後に「ゆうたさんの告別式に行かせてもらいました。昔、自宅に呼ばれた時に会った小さな子が大きくなって喪主を務めていて、お父さんにそっくりだったんですよ。61歳という若さでこの世を去ったことは悲しいのですが、この子がこれから家族を支えていくんだと思うと安心感がありました」と話し、「色々とお世話になりました、ありがとうございました」と、愛ある厳しさで接してくれた先輩・おかゆうたに心の底からの感謝を述べた。

※ラジオ関西『Clip木曜日』より

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