◆鉄アナ・羽川英樹「行ってきました!」
関西本線は『名古屋』と『JR難波』とを結ぶ174.9kmの路線です。かつては名阪間を結ぶ重要路線でしたが、今はローカル輸送が中心で、『名古屋』~『亀山』、『亀山』~『加茂』、『加茂』~『JR難波』の3つの区間に運転系統が分けられます。今回はその中から、いまだ非電化区間の『亀山』(三重)~『加茂』(京都)間の61kmをリポートします。
起点の『亀山』はかっては伊勢亀山藩の城下町として、また東海道の宿場町としてローソク産業とともに栄えました。近年では液晶テレビ「亀山モデル」を製造していたシャープの広大な工場が有名です。
『亀山』では名古屋に向かう4両の快速列車や、津・新宮方面への紀勢本線の列車と接続します。私が今回乗ったのは2両編成のキハ120形で、加茂までは基本1時間に1本の運転となります。
次の駅が江戸時代に参勤交代や伊勢参りでにぎわった宿場町の『関』。駅から5分ほど歩いた東西1.8kmの通りは、古い町家が今も200軒ほど残る重要伝統的建造物群保存地区です。
元高札場(こうさつば)だった面影を残す郵便局や、山菜おこわと蕎麦(そば)が名物の元旅籠の「会津屋」。そして脇本陣をつとめた千鳥派風(はふ)が印象的な「鶴屋」。築130年の旅籠だった「玉屋」はゲストハウス「石垣屋」になりインバウンド客も多く、紅茶専門店も街の景色にうまく溶け込んでいました。
『加太』(かぶと)を過ぎると鉄道ファンにはおなじみの“加太越え”が始まります。目の前には鈴鹿山脈がぐっと迫り、急カーブ・急勾配の連続となります。そして峠の途中には2006年までスイッチバック式の中在家信号場がありました。いまは楽々とキハ120形が駆け上がりますが、SL時代はそりゃ大変だったんです。D51が25パーミルの勾配を駆けあがって、中在家信号場でスィッチバック。ここからは後ろからも援軍の機関車が必死で押し上げていきます。トンネルの中はすごい煤(ばい)煙だったため、入り口に遮蔽膜も取り付けられていました。
峠を越えて坂をくだって『柘植』に到着。ここで草津線と接続します。だだっ広い構内には、かつて加太越えのSL補機の転車台や給水塔もありました。