所属する国や地域などから地理的に分離している土地を「飛び地」といいます。政治的・軍事的な理由で世界の様々な場所に飛び地は存在しています。例えば地図上ではスペイン国内にあるように見えるジブラルタルはイギリス領となっており、世界的に有名な飛び地として知られています。
日本にも飛び地はありますが、中でも珍しいと言われているのが「和歌山県北山村」。その理由は奈良県と三重県に囲まれており、本来属している和歌山県のどの市町村とも接していないことにあります。なぜこのような形の飛び地になったのでしょうか? 北山村役場に聞きました。
【北山村は古くから林業の村だった】
北山村は古くから林業が発展しており、豊臣秀吉に北山村産の木材の品質を認められ朱印状を与える程でした。徳川家康が江戸城を建てた際にも北山材を使ったと史書に記されています。
当時、木材の輸送方法には川で流す方法しかなく伐採した木は筏(いかだ)にして村を流れる川を下って都会まで運んでいたのだそう。それに伴って村の筏流しの技術は高くなり、北山村には多くの筏師が住み、やがて筏師集団の村として知られていきました。
【木材は新宮市まで運ばれた】
筏にした木材は、筏師の高度な技術によって村から川を下って木材の集積地である新宮(和歌山県南部)まで運ばれました。この“新宮まで木材を運んでいた”という事が北山村が現在飛び地である大きな理由の一つとなりました。
【新宮市との密接な関係から和歌山県に編入された】
北山村が和歌山県に編入されたのは1871年(明治4年)の廃藩置県の際。
当時、村の人口の大半は筏師が占めており新宮木材業者と筏師は切っても切れない関係で成り立っていました。そこで地理的には奈良県になるところ、新宮との経済的な結びつきや「新宮と同じ和歌山県がいい」という村民の声が多かった事から和歌山県に編入されたのだそう。その後の1889年(明治22年)に5つの村が合併し北山村となったのだそう。また「平成の大合併」の際には近かくの市や町との合併の案もあったが、「和歌山県北山村」として続く事に。そうして、北山村は“珍しいタイプの飛び地”となったのです。
北山村で600年栄えた筏師。昭和30年代後半、ダムの建設によりその存在は消えてしまいました。ですが現在、村の名物として“夏の間筏下り体験”を実施しており、かつての雰囲気を今でも体感することができます。
※ラジオ関西『Clip』2024年3月5日放送回より
(取材・文=濱田象太朗)