発売から約40年、今もなお多くのファンに愛される「キンケシ」。お目当てを当てるために何度も何度も回したり、学校に持っていって叱られた記憶がある人も多いのではないでしょうか? そんな「キンケシ」の歴史や現在について、株式会社バンダイの企画担当・大西さんに話を聞きました。
―――そもそもどうして生まれた?
【大西さん】 キンケシが生まれる前の日本ではスーパーカーブームが訪れており、「スーパーカー消しゴム」というカプセルトイが非常に流行っていました。それにならってキャラクターフィギュアのカプセルトイが続々と販売されるなかで、1983年に発売されたのが「キンケシ」でした。
当時を知る方はお分かりかと思いますが、実は、キンケシは消しゴムではありません。前述の「スーパーカー消しゴム」に似ていたことから、愛称として「キン肉マン消しゴム=キンケシ」と呼ばれるようになり、それが後に公式の名称となったのです。
―――発売当時の人気ぶりはすさまじかったと聞きました。
【大西さん】 当時、漫画『キン肉マン』が非常に人気だったこともあり、発売すればたちまち自販機の前に行列ができ、1日で完売、追加発注の電話が鳴りやまないという状況だったそうです。いくら作っても足りず、当時はキンケシを製造するために工場がフル稼働していたそうです。その結果、今ではシリーズ累計約1億8000万個以上を売り上げるバンダイのガシャポン(※)史上最大のヒット商品となりました。
商品は、販売当初からキン肉マンやロビンマスク、テリーマンなどキャラクターの種類が豊富でした。当時のキャラクターフィギュアの商品でここまで種類豊富なものはなく、「ガシャポンを何度も回して集める」といった楽しみ方ができたのも、人気に火がついた理由のひとつだったのではないでしょうか。
―――あの“腕を開いたポーズ”には理由が?
【大西さん】 大きな理由としては、“作りやすさ”です。複雑なポーズのフィギュアは、パーツをいくつにも分けて作り、最後に組み合わせる必要があるのですが、あのポーズであればパーツを分割せずに作れたんです。
カプセルトイという特性上、子どもたちがおこづかいで買える値段にしたいというのもあり、製作上の理由から腕を開いたポーズになりました。ポーズも含めて、今も皆様からデザイを評価していただくことも多いのですが、当時のキンケシは廣田圭司さんという造形師に作ってもらっていました。
―――キンケシに“生みの親”がいたとは知りませんでした。現在はどうなっているのでしょうか?
【大西さん】 初代キンケシは1987年に一度生産終了したのですが、あるキンケシマニア社員の提案から2016年に復活しました。復活当時は、大人になった“キンケシ世代”の方々を中心に大変反響をいただきました。
先月も第22弾を発売したばかりなのですが、“キンケシ世代”の方々だけでなく、親子2代で楽しんでいただくなど、若い方からも人気が出始めています。現在は通常のキンケシに加え、ダイキャスト製で重量感と迫力のある「ダイキャストシリーズ」や念願の可動式「フルアクションシリーズ」など、進化系キンケシも展開しています。