本日はGW最終日、昨日は「こどもの日」でありテレビでは各旅行先で楽しそうに遊ぶ子どもたちの様子が流れていました。筆者の子どもの頃の思い出といえば「白線から落ちると死ぬ」「狭い場所に閉じこもる」「長い棒を武器として持ち歩く」という“謎遊び”です。こうした遊びは決して自分だけの経験だけでなく誰もが共感できる「子どもの頃のあるある」でもあり、通過儀礼のように思えなくもありません。だとすれば、そこにはどういった意味があるのでしょうか? 乳幼児心理学が専門の立命館大学総合心理学部・矢藤優子教授に話を聞きました。
何も考えずやっていた謎遊びについて、矢藤さんはズバリ「子どもの遊びには全て意味があります」と断言。「将来に備えた準備として、あるいは自分に足りないことを補う手段として子どもたちは遊びを行います。人間以外の動物は狩猟などを学ぶ手段として“遊ぶ”ことがわかっていて、人間も同様に本能的に遊びから多くのことを学んでいくのです」(矢藤教授)
矢藤教授によると、例えば「ままごと」などの“ごっこ遊び”は認知や社会的発達を促すことに優れていて、想像力やコミュニケーション能力を身につけることに役立つそうです。
では、謎遊びは具体的にそれぞれどのような意味を持つのでしょうか。矢藤教授に考察してもらいました。
◆白線から落ちたら死ぬ
「身体的に制約を設けた上で、自分の体をどうコントロールできるのか知ることができます。また、どんな遊びにもルールや制約は必要であり、ルールがあるなかで『どう遊ぶことができるのか』『ルールをどう設定するのか』を考える力をつけられるのでは」(矢藤教授)
ルールを設定することに大きな意味がある、と矢藤先生。「落ちたら死ぬ……のほか、『マグマで溶ける』『サメに食べられる』など虚構の場面を想像して遊ぶことができるのは人間ならではの素晴らしいことですよね」と矢藤教授。
◆棒を持つ・高いところに登ろうとする
「子どもは体が未熟であるが故に、その身体的機能を道具で補おうとします。棒を持つことは短い手の機能を補おうとする、高いところに登るのは足りない身長を補おうとしているのだと考えられます。モノを使うことは人間にとって欠かせないことであり、最初に身につける知恵だとも言えます」(矢藤教授)
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「どんな遊びにも意味がある」ということから、大人が意識すべきは“無闇にやめさせない”ということ。よほど危ないことをしない限りは、自身の成長や社会性を身につけている最中なのだと理解し見守る、積極的に一緒に遊ぶことが良さそうです。
(取材・文:宮田智也)