平安時代に宮中で始まったとされる「御懺法講(おせんぼうこう)」が5月30日、 京都・三千院門跡(京都市左京区大原)で執り行われた。
御懺法講は1157(保元2)年に後白河天皇が宮中の仁寿殿(じじゅうでん)で営なまれたのが始まりとされる。比叡山延暦寺を本山とする天台宗で最も重要な儀礼と位置づけられ、宮中法会(ほうえ)として脈々と行われてきた。
しかし、明治政府の廃仏毀釈(きしゃく)や第二次世界大戦などの影響でいったん途絶えた。その後1979(昭和54)年に京都・五ケ室門跡(※)の一つ、三千院で復興された。
関係者は「復興して50年近く続き、新たな時代への継承を確かなものにしたい」と話す。
毎年、新緑の季節を経て梅雨へ移ろう時期に、京都御所の紫宸殿を模した三千院の宸殿(しんでん)で執り行われる御懺法講。
独特の旋律をつけて経文を唱える仏教音楽・声明(しょうみょう)と雅楽の調べが響きわたる、古儀にのっとった法会は、元来、諸悪の行いを懺悔(ざんげ)し、心の中にある「貪り(むさぼり)、怒り、愚痴」の三つの毒を取り除く意味合いを持つ。
導師を務める三千院の小堀光實(こぼり・こうじつ)門主らが雅楽の調べに乗せて声明を唱え、花びらをかたどった散華(さんげ)がまかれ、約2時間の宮中法会が再現された。
仏教音楽・声明は中世ヨーロッパの典礼音楽・グレゴリオ聖歌と並び称され、近年ではコラボレーションされることも多くなった。浄瑠璃や能の源流ともされ、京都・大原は声明の聖地と称される。
ヨーロッパを中心とした外国人観光客が声明と雅楽の響きに耳をすませる。その中に、北アフリカ・チュニジア出身の男性が一言、「神楽(かぐら)と同じではないか」と話した。
この男性は、京都市立芸術大学・ 日本伝統音楽研究センター客員研究員のアイメン・シャバーンさん。日本で神楽の研究を続ける中、この日接した仏教音楽に「日本の伝統的な儀礼の奥深さを感じた。宮中行事も神楽も、すべて音楽がベースになっている」と感慨深げだった。
また同大学の藤田隆則教授(民族音楽学)は「儀礼(法要)そのものが『誰に向けて』尊敬の念を持って行われているのかが明確で、僧侶が後白河法皇の御影が安置された厨子に深々と平伏する場面が非常に興味深い」と話した。