デザイナーのコシノジュンコさんが意匠を手掛けたクレーン車が、このほど大阪で一般公開された。地元のクレーン会社が制作を依頼したもので、世界的デザイナーによるクレーン車のデザインは異例のこと。その背景には、コシノさんと企業経営者の思いがけない出会いと絆があった。
![コシノジュンコさん](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2025/02/SNS.jpg)
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きっかけは靴だった。2024年4月、知人に招待されてコシノさんのファッションショーに足を運んだ濱中朋弘さんは、ショーの合間、展示されていた衣装を何気なく見ていた。
すると突然後ろから「その靴、貸してもらえませんか」と声を掛けられた。コシノさんのマネージャーだった。
聞けば、第2部のショーに出る男性モデルが白い靴を履いてきたため、急きょ衣装に合う黒い靴を探しているのだという。続けて現われたコシノさんにも「本当にごめんなさい。あなたのその黒い靴を貸していただきたいの」と、丁寧にお願いされた。濱中さんは驚きつつも「私ので良かったら」と、履いていた靴を預けた。
![](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2025/02/0-1-1024x699.jpg)
濱中さんは元高校教師。世界史を教え、サッカー部の顧問だった。充実した教員生活を送っていたが、家業を支えたいとい思いから教職を辞し、2019年、「ハマテック」(大阪府大東市)に入社。2021年、初代社長の祖父が他界したのに伴い、代表取締役社長に就任した。以来、本業とともに、後継者不足解消に向けた情報発信や業界全体のイメージアップを目指したイベント開催などに力を注いできたという。
![「ハマテック」社長の濱中朋弘さん かつては高校で世界史を教えていた](https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2025/02/IMG_3535-1-1024x683.jpg)
“靴事件”以来、濱中さんとコシノさんは急接近。コシノさんが好きなサッカー観戦に同行したり、食事をしながら語り合ったり。さらに「あの時は、靴だけランウェイデビューさせてごめんなさいね。今度はあなたも」(コシノさん)と誘われ、濱中さん本人がモデルとしてライブ出演も果たした。