シンガーソングライター奥華子 「頑張れない自分を救った“休止”という選択」 再出発までの道のり | ラジトピ ラジオ関西トピックス

シンガーソングライター奥華子 「頑張れない自分を救った“休止”という選択」 再出発までの道のり

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 シンガーソングライターの川嶋あいさんがパーソナリティーを務めるラジオ番組『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』(ラジオ関西)に、川嶋さんと10年以上の親交がある奥華子さんがゲスト出演。活動休止に至った苦悩や、音楽・ラジオへの思い、そして再び歩み出すまでの心の変化について語りました。

シンガーソングライター・奥華子さん(写真左)、番組パーソナリティーのシンガーソングライター・川嶋あいさん(同右)

 奥さんは、2005年に『やさしい花』でメジャーデビューして以来、多くのヒット曲を生み出してきました。楽曲制作に加え、CMソングの作詞・作曲・歌唱も数多く手がけています。

 2020年、デビュー15周年を迎えたあとに活動を休止した奥さんは、当時の心境を次のように語りました。

「デビュー15周年も終わってひと息ついて、『これからどうするべきか』と立ち止まったんです。『このままじゃ無理だな』と思って。頑張れないというか……。頑張れない自分を応援してくださいというのは、ファンの皆さんに対しても失礼だなと思い、全部やめたんです」(奥さん)

 また、「『歌いたい、ライブをしたい』と思いたいのに、『曲を作らなくちゃいけない、ライブをしなくちゃいけない』と義務感になってしまったり……。うまく歌えないことがこわかった」と語ります。

 活動休止に入る際には、長年続けてきたラジオ番組の終了も重なり、「ものすごい孤独を感じました」と当時を振り返りました。

 川嶋さんから「どうやって乗り越えてきたのか」と尋ねられると、このように答えました。

「1回やめたことが、自分を救ったかもしれないですね。2年間、ピアノを触らず歌も歌わなかった。自分が、『歌いたい、ピアノを弾きたい』と思うまではやめようと思った」(奥さん)

 音楽から完全に距離を置いたことで、改めて、「音楽は自分の居場所だった」と気づいたといいます。
 
「手放すこともすごく大事だったなと(思う)。常にそこにあると、それがどれだけ大事なのかもわからなくなるし、環境に慣れると、それがどれだけありがたいことだったのかというのにも気づけなかったりする」(奥さん)

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