ネオ昭和アーティストの阪田マリンが自身の担当するラジオ番組『Clip』(ラジオ関西、月-木午後1時~)で、昭和の電話についてトークを展開しました。

いまは1人1台スマートフォンを持つ時代ですが、昭和のころはどうだったのでしょうか。
日本で電話サービスがはじまったのは、1890(明治23)年。東京〜横浜間のサービスで、当初の加入数はわずか200世帯足らずだったそうです。ちなみに、東京から横浜への市外電話は、5分で15銭(現代に換算すると2000円以上)という高価なサービスでした。
当時、電話をつなげるためには「交換機」が必要で、「交換手」が手動で回線をつなげていました。この交換手は最先端の職業だったことから人気の職種となり、対応のやわらかさから女性が多く登用されたそうです。
番組パートナーでドラァグクイーンのサマンサ・アナンサは、「昔、ドリフのコントで、交換手の人が手動で電話をつないで、コードでグルグル巻きになるのがあった」と思い返しました。
その後、公衆電話が登場します。それまで、電信局・電話局内といった特定の場所にしかなかった公衆電話が、街頭に進出したのが1900(明治33)年のことでした。

昭和に入ると、いわゆる“黒電話”が登場します。さまざまな改良やモデルチェンジをしつつ、長きにわたり黒電話がポピュラーな電話機となりました。
マリンは黒電話をコレクションしていて、スマートフォンから黒電話に電話して当時の音質をチェックしたりしたそうです。ほかにも、喫茶店などにあったピンク電話をはじめとした4台を持っているようです。

昭和40年代になると、一家に一台という動きが進んでいきましたが、まだまだ電話のない世帯も多く、学校の連絡名簿には“呼び出し電話番号”がありました。
これは、緊急連絡時には電話を持っている近所の家に電話してもらい、保留にして呼びにきてもらうというもの。近所付き合いのあった昭和ならではの文化を感じますね。
当初流通していたのは、ダイヤル式の電話。さまざまな楽曲で「ダイヤル回す」というフレーズを耳にしますよね。
その後、プッシュボタン式が登場。ボタンを押すときに「ピポパ」と表現することがありますが、これは“プッシュボタン式電話のボタンを押すときの音がはじまり”という説があります。





