生まれも育ちも神戸市中央区でサブカル郷土史家の佐々木孝昌(神戸史談会、神戸史学会・会員)が、北区出身で落語家の桂天吾と、神戸のあれこれについてポッドキャストで語る『神戸放談』(ラジオ関西Podcast)連載シリーズ。今回のテーマは「灘区」です。三宮センター街にあるトロフィーと造花の店「毛利マーク」代表取締役で、stand.fmで「KOBE LOVERs Station」のパーソナリティーも務める藤井淳史さんを交えて考察しました。
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藤井さんは灘区の鶴甲で生まれ育ち、現在も灘区に住んでいる。鶴甲あたりは山際……というか、鶴甲山を削って造成されたので元々は山。だから急な坂も多い。冬は雪が降ると坂が上れないから中学校が休みになったという藤井さん。「意外に北区より住みにくいやん!」と優越感にひたる北区出身の落語家・桂天吾君。
北区民の天吾君にとって灘区のイメージは「女優・戸田恵梨香」「酒蔵」。中央区民の僕は「学校が多い文教地区」「傾斜の強い坂」。対して、職場がある中央区に抱く藤井さんのイメージは「でっかい村」。神戸の中心部でもあり開発・発展めざましい中央区だが、いまだに古くからの人も住んでいるし、“精神的な部分”で都心でありながらも村社会のようだという。確かに、僕もそれは感じる部分がある。

藤井さんにとって北区は親しみがあるよう。灘区と隣接しているため有馬温泉などにもすぐ行け、たまに神戸森林植物園にも遊びに行くそう。ちなみに西区は、灘区からすると「遠い」のひと言。中々行くことも無いそうだ。
では、灘区民として東灘区に対するライバル心などはあるのだろうか? 藤井さんは「対抗心というより、申し訳なさがある」と言う。その真意を問うと、まず灘五郷の酒蔵の中心は東灘区(灘区は西郷。東灘区は御影郷と魚崎郷。西宮市に西宮郷と今津郷がある)であること。そして先に西灘村などが灘区として神戸市になったので、本来の灘の中心が東灘区という名称になった。だから「ほんまやったらうちの方が灘区やのになって東灘の人は思っているのでは」と、藤井さんはおもんばかる。東灘の人は住んでいる場所を聞かれると「東灘」とは言わず、御影や住吉・岡本と答える傾向にあるとも話す。
もしかしたら灘区を西灘区に、東灘区を灘区にした方が歴史的にも良かったのかもしれない。電車の駅名も阪急王子公園駅は1984年までは「西灘駅」だったし。阪神電鉄は今も西灘駅だ。

灘区の魅力を藤井さんに尋ねると、「海と山に挟まれて南北に細長く、神戸の魅力が凝縮されているところ」だと述べる。考えてみると、神戸の魅力は何かにつけて「ちょうどいい」ところ。だから灘区は「ちょうどいいofちょうどいいエリア」なのだ。仕事や遊びに行くのは中央区、学ぶにも住むにも良いのは灘区。山手だと景色も素敵。坂が多いので帰宅する時はしんどいけど、日常生活において“神戸らしさ”が詰まっている。
灘区には水道筋や六甲道には商店街や市場もあるし、王子動物園や六甲山レジャーの拠点である摩耶ケーブルと六甲ケーブルはおさえているし、浜手には酒蔵があるし……。まさに「リトル神戸」と言っても過言では無いだろう。
(文=サブカル郷土史家 佐々木孝昌)
※ラジオ関西Podcast『神戸放談』#19「灘区民からみた神戸」より





