生まれも育ちも神戸市中央区でサブカル郷土史家の佐々木孝昌(神戸史談会、神戸史学会・会員)が、北区出身で落語家の桂天吾と、神戸のあれこれについてポッドキャストで語る『神戸放談』(ラジオ関西Podcast)連載シリーズ。今回のテーマは「神社仏閣」です。
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神戸は幕末に開港して明治以降、エキゾチックでハイカラな港町を都市のイメージとして来た。だが、そのイメージの大半は、旧居留地、北野、南京町、神戸港といった三宮・元町周辺に限られるだろう。あとは塩屋の異人館ぐらいか。
北野の異人館は、1970年代後半の“異人館ブーム”以降、南京町は1980年代後半の再開発以降、観光地になったので、歴史的に見れば観光スポットとしてはまだ浅い。僕は絵葉書蒐集家でもあるのだが、戦前の観光名所絵葉書から紐解くと、異国情緒的風景としてよくあるのはメリケン波止場、旧居留地及び海岸通、神戸港、元町通、栄町通、栄光教会、トアホテルなど。ちなみに北野の異人館は単なる洋風住宅街なので名所ですらなかったのだ。
一方、日本的風景は湊川神社、生田神社、摩耶山天上寺、須磨寺、布引の滝、兵庫大仏、真光寺大仏、清盛塚、敦盛塚、福原遊郭、有馬温泉、湊川の土手の松、白砂青松の須磨海岸、舞子公園の根上りの松など枚挙にいとまがない。また、戦前は国民的英雄だった大楠公こと楠木正成を祀る湊川神社が、省線(現JR)神戸駅前に鎮座していることから、神戸は大楠公の聖地として認知されていた。戦前、「神戸といえば」、異国情緒だけでなく「湊川神社」でもあったのだ。ちなみに、旧社格では、生田神社と長田神社が官幣中社で、湊川神社はそれより下の別格官幣社だが、絵葉書の種類や各時代の発行状況も、湊川神社が圧倒的に多い。

年中行事を見ても、正月は、生田・湊川・長田の三社参りで賑わい、そのあとは柳原のえべっさん、多井畑の厄除け。5月になれば、灘のだんじりに楠公まつり。夏は平野の祇園さん他、各神社の夏祭りに地蔵盆など昔から続いている。近代以前は兵庫津が中心地でもあったので、神戸といえどもベースは「和」でありピンポイントで「洋」なのだ。それを証明するかのように、全国の神社数2位が兵庫県(1位は新潟県)で、兵庫県内の神社数2位が神戸市で300余りあるのだ。寺院数は兵庫県は全国3位(1位・愛知県、2位・大阪府)で、神戸市には550程あり県内1位。各区で見ると神社は西区が一番多く、寺院は兵庫区が一番多い。
歴史ある神社仏閣が多い神戸だが、旧市街では神戸大空襲によりかなりの数が灰燼に帰し、阪神・淡路大震災がそれに追い打ちをかけた。それがなければ旧市街にも近世の寺社建築がそれなりに残っていて、古都に匹敵したかもしれない。とはいうものの、西区の太山寺・本堂は鎌倉時代の建築で国宝だ。他にも、江戸時代の建築は多々残っている。寺院では須磨寺や再度山大龍寺などが、神社では兵庫区の祇園神社や灘区の六甲八幡神社、北区の塩田八幡宮などがそうだ。


大仏だって2つもある。ひとつは奈良・鎌倉と並び日本三大仏の一つ(諸説あり)にも数えられる「兵庫大仏」。そして、今では貴重な戦前コンクリート製の「鵯越大仏」だ。路上観察的な見立てで言えば湊川神社表門前などは通りも広く、京都の西本願寺門前と似ているように思う。


建築的には戦後の再建が多いかもしれないが、意外や神戸は神社仏閣巡りにはもってこいの小京都なのである。
(文=サブカル郷土史家 佐々木孝昌)
※ラジオ関西Podcast『神戸放談』#24「神戸は小京都?」より





