ラジオパーソナリティーと行く島根ツアー【2日目】世界遺産「石見銀山」 先人達の努力に思いを馳せる

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 ラジオ関西『Clip』パーソナリティーの近藤夏子とタケモトコウジが同行する島根県の神在月の出雲大社と世界遺産石見銀山を巡るツアー「月曜Clipדしまこん”スペシャルツアー第2弾」が、12月6日から7日にかけて行われました。その様子を2回に渡ってレポートします。

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〈ツアー・2日目〉

 まず訪れたのは、世界遺産「石見銀山」。正式には「石見銀山遺跡とその文化的景観」といい、自然を破壊せず環境に配慮した「自然環境と共存した産業遺跡」であることが評価され世界遺産登録に至ったといいます。銀を採掘した坑道を「間歩(まぶ)」と呼びますが、石見銀山には大小さまざまな間歩が1000か所以上残っているそうです。

「龍源寺間歩」江戸時代中頃に開発されたもので、長さは600mに及ぶ

 石見銀山で唯一常時見学できる龍源寺間歩までは、距離があるため電動自転車をレンタルして向かいました。ここでもガイドさんが付いてくださり、石見銀山の歴史などさまざまな知識を教えてくれます。ちなみに世界で産出された銀の約3分の1を日本が占め、じつはその多くが石見銀山のものと言われています。閉山したのは昭和18年といわれ、約230年もの間、間歩の開発が行われました。

 龍源寺間歩は江戸時代中頃に開発されたもので長さは600mにおよび、鉱脈がありを追って掘った「ひおい坑」という、左右上下にむかう無数の坑道があります。人ひとりが寝そべってなんとか通れるという狭さの道を手作業で掘り進めていたことに、一同は驚きの表情を浮かべていました。

「ひおい坑」岩石の隙間に板のように固まっている鉱物の層(鉱脈)を追って掘り進んだ小さな坑道
壁面には当時ノミで掘り進んだ跡がそのまま残っている

 鉱山に隣接して発展した鉱山町の町並み「大森銀山地区」は、19世紀初頭以降の歴史的建造物が多く残っています。古民家をリノベーションしたカフェや雑貨店、ライフスタイルショップなどが点在しています。

石見銀山大森の街並み
町民が古民家を大切に修繕しながら受け継いで暮らしている。

 続いて向かったのが、奥出雲町にある「仁田米食堂」。お米マイスター監修の釜戸炊きの仁多米を食べられ、しかもおかわりは無料。店内は多くのお客で賑わっていました。

食堂の外観
おかわり無料の白ごはんと、おいしい料理の数々

 その後は、島根の名水百選に選ばれた「延命水」を使用し栽培された舞茸をお土産に購入して帰路に。帰りは無事、特急やくもにのり帰ることができました。

〈終〉

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