独学で絵を学び、美術団体に属さず、生涯独身。高齢になってからは水道と電気がない小さなアトリエで描き続けた。そんな「孤高の画家」高島野十郎(1890~1975年)の大規模回顧展「没後50年 高島野十郎展」が大阪中之島美術館(大阪市北区)で開かれている。過去最大規模となる160点以上の作品と資料を通して、野十郎の画業をたどり、その人生に迫る。

高島野十郎は1890(明治23)年、福岡県久留米市の酒造家に生まれ、東京帝国大学農学部(現・東京大学)を首席で卒業するも、画家の道へ進んだ異色の経歴。特定の美術団体に属さず、独学で制作を続け、細密な筆致による「蝋燭(ろうそく)」や「月」の連作に代表される独特の写実表現を極めた。生前は画家としてほとんど評価されなかったが、他界後の1980年代以降注目される機会が増え、現在では日本近代洋画の中で独自の位置を占める存在として知られている。
本展では、初公開作品も含めた展示を通じ、これまであまり知られていなかった青年期やヨーロッパ滞在期にも焦点を当てている。あわせて書簡や日記、メモといった資料も公開。孤高でありながらも、縁ある人には自ら温かい思いを伝え、また周囲からも慕われていた画家の人となりを紹介している。
展示はプロローグと4章、エピローグで構成。冒頭では「蝋燭」をはじめとする代表作や自画像、静物画、風景画などを通じて仕事の全体像を概観する。続く第1章では、フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~90年)や岸田劉生(1891~1929年)ら同時代の画家からの影響や、写実表現を確立していく過程を検証。
第2章では、約40年にわたり交流のあった洋画家・大内田茂士(1913~94年)の話などを手がかりに、人間関係をみる。大内田は野十郎の死後、「人間ぎらいは相変わらずで、結婚もせずこのアトリエに一人住み、晴れれば畑で働き、降れば絵を描くという毎日であった」「私も一人でさびしいような時には高島さんを訪ねた」と新聞に寄稿。社交的ではなかったが理解者はいて、彼らと心を通わせていた野十郎の実像が浮かび上がる。同章では野十郎が生まれ故郷・久留米を描いた唯一の作品で、大内田が愛蔵していた「筑後川遠望」(1949[昭和24]年ごろ、福岡県立美術館)などを展示している。
第3章では、ヨーロッパ滞在や国内各地の旅で描かれた風景画を特集。自然や土地の空気までも取り込もうとする精緻な描写に、野十郎の一貫した制作姿勢が読み取れる。さらに第4章では、青年期から傾倒していた仏教思想に焦点を当てる。寺社や仏塔を描いた作品に加え、静物や風景に潜む「生と死」「晴と雨」といった対立概念が込められた静物や風景が並ぶ。コスモスやマリーゴールドなどの秋の花々が咲き誇る一方で、枯れてうなだれるヒマワリ(「海辺の秋花」1953[昭和28]年ごろ、個人蔵)、真っ赤に輝く20粒ほどのみずみずしいサクランボの中にある腐って変色した実(「さくらんぼ」1957[昭和32]年、個人蔵)は、死の概念や無常観とともに、生命の再生をも雄弁に語る。





