シャンソンを出発点に独自の表現世界を築き、幅広いファン層を持つ歌手・クミコ。クミコが作詞家松本隆とともに贈るスペシャルステージ「クミコ sings 松本隆 songs 松本隆の『ことばとうた』vol.2」が12日(日)、ルネサンス クラシックス芦屋ルナ・ホール(兵庫県芦屋市)で開かれる。公演を前にクミコがインタビューに応じ、松本の楽曲や自身の音楽観について語った。

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同公演は、クミコと松本の4半世紀にわたる交流を背景とした企画で、大好評を博した2024年の初回に続き、今回で2回目となる。第1部はクミコによる松本作品の歌唱と2人のトークセッション、第2部はシャンソンの名曲を集めたライブでつづる。
第1部では「心の指紋」(2000年)など、松本がクミコに提供した曲のほか、80年代のアイドルナンバーもカバーする。うち1曲は1984年、薬師丸ひろ子がリリースした「Woman Wの悲劇」。時の経過を川にたとえたドラマチックな歌詞が印象的な曲だ。「口ずさんだ時、空を見つめて死の川を流れていく『オフィーリア』(19世紀、イギリスの画家ミレーが描いた絵画)が浮かんできた」と、クミコ。「薬師丸さんの歌唱もすばらしかったが、自分で歌うと違う景色が見えてきた。そこに松本作品の奥深さを感じる」と、作詞家にリスペクトを表する。
一方、松本がクミコに書いた歌詞には、許されない恋や官能的な描写、時には「ヤクザの情婦」などといった「今、コンプライアンス的にどうよ?みたいな」(クミコ)設定が並ぶ。「松本さんが描く裏街道の女の人たちは、まるで昔の映画のヒロイン。非常に良くできた詞だけれど、現実の私とは違うので、悩みながら表現してきた」と明かす。
クミコは1982年、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」でプロデビュー。地道な音楽活動を続けてきた。かたや松本は日本を代表する作詞家の1人。太田裕美「木綿のハンカチーフ」(1975年)、松田聖子「赤いスイートピー」(1982年)、斉藤由貴「卒業」(1985年)など、トップアイドルへの楽曲提供に加え、寺尾聰「ルビーの指輪」(1981年)など時代を象徴するナンバーを世に送り出してきた。超売れっ子の時期を経て、松本は90年代前半から仕事をセーブ。歌舞伎やオペラなど、古典に親しむ充電期間に入っていた。

そんな2人が出会ったのは1999年のこと。松本はクミコの声に、自身が温めていた「大人に向けた恋の歌」を重ね、プロデュースを申し出た。翌年、クミコは松本が全曲を作詞したアルバム「AURA」で再デビュー。シャンソンのフィールドを超えた作品群は、クミコの名を広く世に知らしめた。以来、2人は数々の機会でタッグを組み、青春を過ぎた世代に刺さる上質なポップスをつくり上げてきた。
松本作品について、クミコは「終わらない七色のぐるぐるキャンディー」と形容する。もっと言うと「ものすごく大きくて、舐めるたびに味が変わるキャンディー。1回で食べ終わることができないからいったんしまって、再び取り出して舐める。そうすると全然別の味になっている。そこで『えらいものを渡されてしまったんだ』と気付くが、おいしいから舐め続けざるを得ない」のだそう。「歌い手と聴き手に『好きなように考えて』と全面的に解釈を委ねてくる。作品の魅力はそこ」と結論し、「松本さん自身もぐるぐるキャンディーみたいな人」と付け加える。
公演の第2部では、「サン・トワ・マミー」「愛の讃歌」などシャンソンの名曲を披露する。歌手生活の中で転機となった曲「わが麗しき恋物語」(2002年)は、恋人を突然の病で失うストーリー。とりわけ同曲には現在の心情を乗せて歌うつもりだ。


