太平洋戦争中に姫路海軍航空隊訓練基地だった鶉野飛行場(兵庫県加西市鶉野町)。加西市は、戦闘機「紫電改」の実物大模型の公開に併せ、戦争遺跡群の一つである巨大防空壕跡を、映像による平和教育のためのシアターに整備した。姫路海軍航空隊で編成された特攻隊「白鷺(はくろ)隊」の遺書を基にした映像が6月21日から公開される。
鶉野飛行場周辺に点在する戦争遺跡群の一つ、巨大防空壕跡は、内部空間が奥行き14.5メートル、幅と高さは各5メートルある。戦時中は自力発電施設として使われた。
白鷺隊は戦局が厳しさを増した1945(昭和20)年3月23日、鶉野飛行場を一斉に飛び立ち、大分県の宇佐航空隊基地に向かった。宇佐基地で待機後、4月6日の第1次菊水作戦から5月4日まで5回にわたり、鹿児島県鹿屋市の串良基地から3人乗りの九七式艦上攻撃機で沖縄近海に出撃し、21機63人が帰らぬ人となった。
6月16日の試写会では、プロジェクションマッピングの手法を用いた立体感のある作品がコンクリート壁面に上映された。未来の平和な日本から来た若者が、出撃前の特攻隊員を兵舎に訪ねるストーリー。戦闘服を着た3人の隊員が登場し、自身の遺書を読み上げるとともに文面が映し出された。
39歳の大尉は2人の子どもに「元気で素直な立派な日本男子、日本女子に育っておくれ」と書き残した。21歳の二等飛行兵曹は「私の突込む時は必ずお父さん、お母さんと叫んで突込みます」、23歳の少尉候補生は「海山よりも高い御恩は突込むことにより、必ず御報いできると信じます」と両親につづった。
上映の後、各地を訪ねて隊員たちの遺書を集めた監修者の戦史研究家、上谷昭夫さん(81)=兵庫県高砂市=は「特攻へ飛び立った人数は鶉野が近畿で最大規模だった。上映された3人の隊員に共通する言葉は『さようなら』。心情を思うと胸にぐっとくるものがある。白鷺隊は10代の隊員が15人死んでいる。多くの犠牲の上に今の平和があることを忘れないでほしい」と話した。
作品は3編あり、合わせて9人の遺書を紹介する。上映は6月21日から毎月第1、第3日曜の10時30分、11時30分、13時30分、14時30分の計4回。上映時間は約20分。各回先着順に20人を受け付ける。無料。申し込みは希望日の前々日までに加西市鶉野未来課、電話0790・42・8757まで。