明智光秀ゆかりの地として注目される兵庫・丹波について、歴史をはじめ多面的に取り上げる『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』(ラジオ関西)。4回にわたる丹波市内の歴史を訪ねるシリーズ、2回目の7月9日放送回では、“春日局(お福)ゆかりの場所”を訪ねました。番組パーソナリティーは「兵庫・神戸のヒストリアン」として活躍する田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と、久保直子さんです。
■「お福坂」
兵主神社から県立氷上高等学校の南側を通って、興禅寺に向かう途中、氷上高校の南東の角あたりの坂道を、この土地の人たちは「お福坂」と呼んでいます。ここから山の方を振り返って見ると、西北の方角に黒井城の西ノ丸あたりの砦があります。
戦国時代の終わりに黒井城の城主だった斎藤利三の娘として黒井の館で生まれた「お福」が通った坂道だと言われている、「お福坂」。黒井城の西の砦の麓あたりに兵主神社がありますが、そこから黒井城の正面の麓にある興禅寺の方に向かう小さな峠道のようになっているところです。400年前、幼い女の子だったお福さんがこのあたりを通っていたかも知れません。ぜひ、黒井を巡るときには「お福坂」も訪ねてみてください。
■黒井城跡登山口
お福坂からまっすぐ東側へ。丹波市立黒井小学校の東門の前に立つと、大きい山の頂に石垣が見えるのが、黒井城の本丸です。険しい山ですがお城を作るためにてっぺんを平らに、曲輪が切ってあります。「黒井城跡登山口」と書かれているように、ここから登って行きます。近そうに見えますがグニュグニュ回った道で簡単に登れないので1時間くらいはかかるでしょうか? 攻めてこられたときのことを考えてあったのですね。
■興禅寺
黒井小学校の東門からすぐ東側に、「興禅寺」というお寺があります。このお寺の門や石垣を見ると、お寺なのに、まるでお城みたいです。このお寺ができる前に黒井の土地をおさめた斎藤利三の館があったことから、この土地の人たちはこの一角を「斎藤屋敷」と呼びました。
黒井城主、荻野(赤井)直正(※全盛期は、西は但馬の竹田城から東は福知山までを勢力下に置いた豪族)の館がこの辺にあったようです。信長の命令で丹波に攻め込んできた明智光秀の家老が、斎藤利三です。明智光秀は赤井氏と波多野氏を滅ぼしたあと、斎藤利三にこの辺りをおさめさせました。
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年7⽉9⽇放送回音声