俳人・永田耕衣の“まなざし” 新発見の資料を一堂に公開

LINEで送る
姫路

 姫路文学館で今、企画展「生誕120年記念 俳人・永田耕衣展」が行われています。

姫路

 永田耕衣は、加古川市出身の俳人で90歳を過ぎても果敢に俳句を作り続けました。今回の企画展では作品や俳句を詠む際に使用した「句帳」と呼ばれるノートや、彼の認めた書画、大切にしていた骨董品や古美術品などを通して、独自の俳句世界と97年の豊かな生涯が紹介されています。

姫路

 永田耕衣は、師匠につかず、さまざまな俳句雑誌に作品を投稿するなど、作法や常識にとらわれない人物でした。人呼んで「俳壇の渡りもの」。後に自身で「浮気三昧」だったと表現するほど自由奔放な俳句の道を歩んだようです。

姫路

 俳句というと「吟行」といって旅に出て作品を詠む方が多いイメージがありませんか。しかし、永田耕衣は机の上で俳句を作る方でした。

永田耕衣は『泥ん』という作品で詩歌文学館賞を受賞しました。このなかの俳句から

「大晩春 泥ん泥泥 どろ泥ん」

こちらは、語感がよくて思わず口に出したくなるリズムですよね。『泥ん』へ寄せられた称賛の声を受けて、永田耕衣はさらにこんな句を詠みました。

「白牡丹やな 俺(わい)死んだんと違うんやな」

関西弁の俳句というのも珍しいですよね。

永田

 永田耕衣は、「俳人であるまえにひとりの人間である」ということを大切にしていました。彼はもともとサラリーマンで、高砂の製紙工場で働いていたんです。夜勤もあるような忙しい日々でしたが、作品を作り続けて本格的に活躍したのは55歳の定年を過ぎた後だったそうなんです。

 退職した後は、神戸市須磨区へ移り自宅を「田荷軒(でんかけん)」と名づけました。多くの芸術家が訪れたそうですが、その生活が一変する出来事が起こりました。1995(平成7)年の阪神・淡路大震災です。永田耕衣は須磨の自宅で被災、当時95歳でした。幸い2階のトイレにいたため、ケガもなく救出されたそうですが、自宅は全壊しました。貴重な作品や、骨董品、書籍などもすべてがれきに埋もれてしまったそうです。

永田

 震災当時、交通が寸断されたなか、明石や姫路にいたお弟子さんたちがリュックを背負って須磨へ通われ、およそ3か月かけて瓦礫の中から作品を掘り起こしたそうです。

 救出された資料は、5000点ほどもあったようですが、そのほとんどは姫路文学館に寄贈され、現在も保存されています。企画展の担当者は「震災前に、仕事で耕衣先生のお家を訪ね、その独特な空間に魅了されました。ですから震災であのお宅が失われたと聞いたときは、ショックを受けました。そういった経緯があり、資料の寄贈を記念して平成8年に開催した第1回目の特別展を担当しました」と話しています。

震災について詠んだ句があります。

「枯草や 住居無くんば 命熱し」

震災から2か月を経た3月10日に生まれた句です。未曾有の天災を経験して、かけがえのない「田荷軒」という自宅をなくしてもなお、「命が燃え上がるようだ」と「命熱し」と詠みました。このことは多くの人に感動を与えました。その後も作品を作り続け、97歳でその生涯を閉じました。

辞世の句は、

「枯れ草の 大孤独居士 ここに居る」

 こちらは、特別展示室に直筆の色紙も展示されています。阪神・淡路大震災から25年の今だからこそ、俳人・永田耕衣の「まなざし」に触れていただきたいです。

※ラジオ関西『時間です!林編集長』2020年1月30日放送回より

永田



◇生誕120年記念 俳人・永田耕衣展
日時 2020年1月11日(土)~4月5日(日)10:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 毎週月曜日、2月12日(水)、2月25日(火)※ただし1月13日、2月24日は開館
会場 姫路文学館 北館(姫路市山野井町84番地、電話079-293-8228)
観覧料 一般310円、大学・高校生210円、中学・小学生100円(常設展料金)※20名以上の団体は2割引

永田

 姫路文学館では、阪神・淡路大震災で全壊した神戸市須磨区の耕衣居から救出された5千点をこえる資料を保存。その中から、その後の研究の成果をふまえた選りすぐりの逸品に加え、新たにご遺族や関係者所蔵の資料、さらに新発見の資料も一堂に公開されています。

「少年や 六十年後の 春の如し」

永田耕衣誕生から百二十年後の春です。

※姫路文学館 公式ウェブサイト(http://www.himejibungakukan.jp/)より

時間です!林編集長 | ラジオ関西 | 2020/01/30/木 15:00-16:00

放送後1週間聴取可能、エリア内無料 radikoプレミアム会員はエリア外聴取可