【高橋】 義を重んじる人です。荻野に養子に入っているので、赤井を立てます。弟の幸家がいるのですが、毛利に手紙を出すときに、幸家を先頭に立て自分は後ろに書いて赤井を立てています。兄貴が亡くなっていますが、兄貴の子の忠家を盛り立てています。ただ戦のときだけは前に出ていくという。だから波多野氏の領域も侵さず、別所も侵さないが、山名とか、北の天田・何鹿に攻めていったり、京都の東の方へ行くという。縄張りをきちんと守る人であり、律儀な人だと、伝承などから私は受け取っています。
【田辺】 そこへ1570年代になって信長の勢力が伸びてきて、前線司令官の光秀と戦うことになるんですね。
【高橋】 それは要するに太田垣と山名が信長に救いを求め――基本的に毛利なんですが―――この頃はもう戦いのなかで全くそういう色分けができないんですね。強いものに頼るというもの。とにかく毛利はあてにならない、毛利は上月までがやっとという感じですから。だから天正3年の10月の終わりくらいから織田に救いを求めて直正は取り巻かれるわけです。
【田辺】 では、そのあたりは再来週シリーズ第4回でお聴きかせ下さい。
高橋成計『明智光秀を破った「丹波の赤鬼」 ~荻野直正と城郭~』(神戸新聞総合出版センター)
定価 本体2,300円+税
発行日 2020年2月
ページ 240ページ
ISBN 978-4-34-301061-2
神戸新聞総合出版センター
https://kobe-yomitai.jp/book/1007/
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年4日30日放送回