光秀と丹波篠山市の関わりとは 酒井市長に聞く | ラジトピ ラジオ関西トピックス

光秀と丹波篠山市の関わりとは 酒井市長に聞く

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【田辺】 恵那も明智光秀の出身地のひとつと言われていますね。従来は本当だろうと言われていたんですが、このところ、そこでない場所が有力という説も出てきています。あと4か所ほど光秀の出身地という場所がありますね。

【酒井市長】 明智城という説もありますね。

【田辺】 のちの伝説のなかでは、明智光秀は、美濃国の守護を幕府から任命された土岐氏の血を引く一族だといわれています。ただ、それもはっきりしたことはわかっていないんです。光秀は、信長や、その前の十五代将軍(足利)義昭と出会う頃までは、本当にわからないんです。我々歴史の立場では、いろんな証拠があって「絶対大丈夫だ」というものしか言えないわけです。1つだけ書いてあっても、本当かどうかというのは(確定できず)、「こうも言われています」と。ところが歴史小説を書く人や講談は、わからない方が良いものはたくさんできるわけですよ。いっぱい作れますからね。ですから、ちょっと苦しいところはありますね。

【酒井市長】 石川さゆりさんのコンサートでは、講談師の旭堂南左衛門さん(兵庫県立篠山鳳鳴高等学校出身)にも講談をやってもらおうと計画しています。

【田辺】 もう1つ、八上は、今では田園地帯ですが、戦国時代の終わりには大きな城下町で交通の要衝でした。篠山の城下町だけではなく、篠山のルーツになる八上の町も、訪ねていただけるようになればいいですね。

【酒井市長】 (八上城)ふもとの町が、殿町というんです。お殿さんは普段はその下の町で住んでいて、戦になったら山の上のお城に行かれていたということのようです。

【田辺】 篠山城と違って、八上城の時代のお城は、いざという時の逃げ込み場でした。普段はふもとの館で生活していました。平和で戦いのない篠山城の時代になると、お城がその地域の市役所みたいな、政庁になり、城主の住まいにもなります。丹波篠山市に来られると、中世のお城と近世のお城の両方を訪ねることができますね。

【久保】 ふたつもお城が訪ねられるんですね。今回は「明智光秀と丹波篠山市」ということで酒井市長にお話をうかがいました。また次回もお願いいたします。

番組
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん
田辺眞人・園田学園女子大学名誉教授と久保直子さん

『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年5⽉21⽇放送回音声

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