【久保】 あーそうだったんですか~。
【谷口市長】 あのとき、役場に勤めていた人の話では、1988(昭和63)年の年末頃になって(役場の中で)「あなたは産業課に行きなさい」と移動を命じられたそうです。産業課というのは観光をやっているんですね。そこに人を集めて1989(平成元)年から始まる新しい大河ドラマのために力を入れていました。お客さんはドンドン来られ、お土産はバンバンバン売れていくので(笑)。
【田辺】 やっぱり、あのときは観光客がたくさん来られたんですか?
【谷口市長】 相当(多く)の人が来られたようですよ。あのときの思い出は強烈にあります。それが令和という新しい時代になった今、またこの丹波市(黒井)が脚光を浴びるというのはうれしい悲鳴です。
【田辺】 丹波市というのは、どちらかというと地味ですが、一方で歴史のなかでものすごい大きな役割を果たしているのでは? 丹波篠山市も含めたこの地域の地形とか地理的な位置というものが大きな役割を担っていたと思うんです。丹波市の地形はどう言えばいいでしょうか?
【谷口市長】 丹波市はちょうど兵庫県のど真ん中にあり面積的にも広いんです。兵庫県で5番目くらいに広いんですが、75パーセントが森林です。現在、6万4千人くらいの方が住んでいます。
【田辺】 将来的にはどのように考えられていますか?
【谷口市長】 将来的には他と同じく人口は減少していくでしょうね。今のところ10年くらいで10パーセントは下がっていくかなという感じがありますね。
【田辺】 これはもうしょうがないですね。今回(コロナ禍もあって)テレワークが実現し、都会へ出勤せずに仕事ができたということですが……。かつてヨーロッパで産業革命が終わったとき、山の中で輸送費がかかるから、何とか軽くて小さくて高価なものを作ろうとしたのが「スイスの時計」です。都会の喧騒を嫌って(今回の経験を活かし)テレワークでやれるような企業を誘致されたら良いのでは?
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年6⽉18⽇放送回音声