【谷口市長】 特にお寺や神社といった信仰の対象、自分が心の拠り所にしていた場所を焼き払われたという思いは、どうしても恨みとして残りますよ。田畑はローラー作戦の様に蹂躙されるし、人は殺される。それに対し真っ向から戦ってくれた赤井直正に対する尊敬の念が今もあると思いますね。
【田辺】 また赤井直正自身がはっきりわからない人物で、そんなに豊かに資料があるわけでもありませんしね。
【谷口市長】 私が子どものころに寝つくとき、よくおばあさんが昔話をしてくれましたが、そのときの「良いもん」と「悪いもん」がありましてね。「良いもん」は岩見重太郎。「悪いもん」は明智光秀でした。同じ丹波でも、京丹波の人は明智光秀のことを神さんのように言いますよね。我々はどちらかというと加害者という意識が(昔の人には)あったかなと思いますね。
明智光秀を大河ドラマにしようという署名活動が始まったときに(赤井直正は彼にやられたわけですから)地元では署名するのを躊躇した人もあったようです。歴史というのは両方から見ないと本当はわからないのでしょうけどね。恨みは何百年……もう400年もの間続いているということかなと思います。
兵庫五国のうちの丹波はわずか人口約10万人、兵庫県の2パーセントくらいの住民しかいないのに(兵庫五国の中で)一国の扱いを受けています。京都からすぐ近い場所にあり、まさにここを抑えておかなければならないという重要な拠点だったんですね。
【田辺】 京都の日本海側、山陰方面に行くときには丹波・但馬というのが出入り口ですからね。
【久保】 では引き続き、次回もお話をうかがいます。今回はありがとうございました。
(文・構成=番組パーソナリティー 久保直子)
『ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波』2020年6⽉18⽇放送回音声