城壁の先は整備された観光地として、A4サイズの簡単な案内地図なんかが置いてあるものだと思っていたぼくは、曲がり角を数度過ぎたあたりで一瞬にして方向感覚を失い、町をさまよい歩くことに。
なのに、なぜか「Googleマップのアプリを使ってたまるか」という“謎の信念”がわいてきました。
検索に頼らず自分の感覚でたどり着きたい。誰と約束しているわけでもない一人旅のこの時間、せっかくならのんびりとその地を楽しみたい派です。
「ここは観光客っぽい人が多いから何かの名所がありそうだな」
「お、散髪している人がいる。こんな髪型が流行っているのかー。変わってるなー、笑」
「国旗を垂らしているベランダが多いけど、どんな理由があるのかな?」
そうやって迷路を楽しみながら、歩き疲れたらベンチに座ってを繰り返していると、ある光景に心を奪われてしばらく見入ってしまいました。
光が差し込むその道は、石畳が奥までずっと続いていて、遠くかすかに家族の笑い声が聞こえていました。学校の授業終わりなのか、ぞろぞろと子どもたちが出てきて、迎えにきていた母親のもとに走って抱きついていきます。近くには小学生にも満たない幼い子も走り回っていて、つまずいて転び、ほんの数秒ほど自分が転んだことに驚いた表情を見せ、時差があってから泣きわめく。それを母親が笑いながら抱き起こす。
なんかどこの国も同じだなと、既視感のあるその風景に喜びに近い感情を抱きました。宗教や国籍、服装もバラバラな人たちが行き交うその街角で、それはとても印象的な光景でした。
今、自分がどこにいるのかもわかっていませんでしたが、日が暮れる前に黄金のドームが見たかったので、見晴らしのいいところを求めて、少し足を速めます。しばらくすると、民家の屋上に上がれる階段を発見。ようやくお目当ての景色を堪能できました。
【『独身リーマン、世界へ』イスラエル編 アーカイブ】
(1)独身リーマンがイスラエルに行って、すぐ帰りたくなった話
(2)イスラエルで迎えた、はじめての朝
(3)イスラエルの公衆トイレでドキドキ体験?!
(4)聖地・エルサレム到着
(5)エルサレムの旧市街地で感じた「人間の暮らし」
(6)「嘆きの壁」の2つの秘密
(7)キリスト最期の地「ゴルゴダの丘」