「まるでワインオープナー 建設当時の姿、忠実に」和歌山・樫野埼灯台、史跡に指定 近畿の現役灯台で初 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「まるでワインオープナー 建設当時の姿、忠実に」和歌山・樫野埼灯台、史跡に指定 近畿の現役灯台で初

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 日本とトルコとの友好のきっかけとなる、和歌山県・串本沖で明治時代中期に起きたトルコの軍艦「エルトゥールル号」遭難事件に関する遺跡が、国の史跡として新たに指定されることになった。この中に、初点灯から今年で150年となる樫野埼灯台も含まれる。神戸市に拠点を置き、近畿と四国を管轄する第五管区海上保安本部管内で、現役の灯台が国の史跡に指定されるのは初めて。近畿の現役灯台でも初(※)となる。

樫野埼灯台(※写真 第五管区海上保安本部提供)

 国の文化審議会が11月20日、文部科学大臣に答申した。史跡に指定されることになったのは、紀伊大島の東端(和歌山県串本町樫野)の周辺海域で発生した当時のオスマン帝国の軍艦「エルトゥールル号」の遭難事件に関する遺跡。「船甲羅」「遭難者上陸地」「樫野埼灯台」「樫野埼灯台旧官舎」「遭難者墓地」からなる。指定地面積は約8万6200平方メートル。

樫野埼灯台は紀伊半島南東部(和歌山県串本町)
樫野埼灯台・エルトゥールル号事件慰霊碑(※写真・関係者提供)

 遭難事件は1890年(明治23年)9月16日深夜に発生。日本に派遣されていたエルトゥールル号に乗った親善使節団は東京に3か月滞在し、国賓として歓迎を受け、団長は明治天皇に謁見したという。台風によりエルトゥールル号は、樫野崎突端から最長で300メートル南西、海岸から100メートル沖合の「船甲羅」に衝突して座礁した。500人以上の乗組員の死亡が確認されている。生存者69人はその後、治療のため神戸に移り、明治天皇・昭憲皇太后が侍医や看護に従事する女性を派遣したという。

 樫野埼灯台は、1866年(慶応2年)に締結した改税約書(江戸条約)に基づいて設置された日本最古の石造り灯台。イギリス人技師R・H・ブラントンの設計による石造りの洋式灯台で、2020年に150周年を迎えた。エルトゥールル号遭難の際には、海に投げ出された乗組員がその灯火を頼りに泳ぎ着き、崖を登って灯台の旧官舎に助けを求めて駆け込んだとされる。これらは国際的な海難事件や日本とトルコとの交流の歴史を伝える貴重な遺跡と評価され、地元・串本町では追悼式典も行われている。

樫野埼灯台(※写真 不動まゆうさん提供)

■建造時のオリジナルを想像できる、現役灯台!~「灯台女子」不動まゆうさん

「灯台女子」不動まゆうさん

 灯台の魅力を多くの人に伝え「灯台女子」としてフリーペーパー『灯台どうだい?』の編集発行人を務める不動まゆうさんは、樫野埼灯台の印象について「初めて訪れた時は、ワインオープナーのような個性的な姿がとても新鮮に目に映りました。外階段のおかげでフレネルレンズ(通常のレンズを同心円状に分割し厚みを減らしたもの)を近くから眺められて、美しさにうっとりしたのを覚えています。樫野埼灯台は、これまでに2度の改築を経ていますが、すっかり立て替えたわけではなく、建設当時のオリジナルの姿を想像可能な状態でよかったと、灯台ファンとして思います。官舎を見学した際は、地元の男性がガイドをしてくださいました。この男性も『エルトゥールル号の救済に加わり、大変誇りに思っている』というお話ぶりが印象的でした」と話す。

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